鈍い
言葉の息遣いに最も鈍い者が
詩歌の道を朗らかに怖さ知らずで歩んできた
と思う日
人に教える難しさに最も鈍い者が
人を教える情熱に取り憑かれるのではあるまいか
人の暗がりに最も鈍い者が
人を救いたいと切望するのではあるまいか
― 吉野弘 「最も鈍い者が」 ―
図書館から帰ってテレビをつけたら自民党の新しい総裁が決まったとニュースを告げていた。
新しい総裁は「強い日本を取り戻す」のだと握りこぶしをつくっていた。
ぼくはなんだかいやーな気持ちになって、テレビを消した。
ラジオをつけたらもうペナントレースも終わったはずの阪神戦を中継していた。
台所で野菜炒めを作って戻ってきたら、阪神は一回になんと5点も取られてしまっていた。
なんという弱さ!
ぼくは「強い日本」より「強い阪神」が戻ってくれる方がうれしいのにと思った。
あの人は日本が強いとうれしいんだろうか。
ぼくはあんまり強くない方がうれしい。
だって国というのはペナントレースを争っているわけじゃないのだもの。
あの人はどんな教育を受けてきたのか知らないけれど「教育改革」もやるのだと言っていた。
あの人は自分みたいな人間をたくさんつくりたいんだろうか。
福島一県さえ守れなかったくせに「美しい日本の海を守るのだ」とも言っていた。
きっとあの人は本当に美しいものなんて見たことがない人なのだ。
だから「美しい日本」などという言葉が何の抵抗もなく口を衝くのだ。
あのひとはそんな言葉しか言えない人間が増えるといいと思っているのだろうか。
今日引用した詩の言っていることは「言葉の息遣いに最も鈍い者」には届かないのだろう。
たぶんあの人も、あの人を選んだ人たちも、「鈍い」という意味すらきっとわからないのだ。
「人の暗がり」っていったい何のことなのかさえ分かりはしないのだ。
言葉に鈍感な人々が美辞をまき散らす。
彼らは自分が何をしゃべっているのか実は自分はわかっていないのだということにさえ気づかずに、まるで酔ったように同じことしか言わない。
それが、何も考えてはいないことのしるしだということもわからずに。