でもくらしい
試みに「大言海」で、この言葉を引いてみると、「此語、でもくらしいトモ解スベシ」とある。
― 小林秀雄 「本居宣長」 ―
小林秀雄がここで言っている「此語」とは「下剋上」という言葉のことである。
戦国時代を一貫した風潮を、「下剋上」と呼ぶことは誰も知ってゐる。言ふまでもなく、これは下の者が上に克つといふ意味だが、この言葉にしても、その簡明な言ひ方が、その内容を隠す嫌ひがある。 試みに「大言海」で、この言葉を引いてみると、「此語、でもくらしいトモ解スベシ」とある。
そうか、「下剋上」とは「デモクラシー」のことか!
私、びっくりしたことを覚えている。
『大言海』はスゴイ!
そして、それを引き出した小林も。
この解が学問的に妥当なのかどうか私は知らない。
けれども、この辞書を編んだ大槻文彦の直感はたぶん正しいのだと思う。
小林秀雄はその前にこう書いている。
戦国の大名達は、皆自分の土地人民を持ち、自分の法律を持ち、富国強兵策に、日夜心を砕かねばならなかった新人達であつた。
そうか、皆が既成の権威も後ろ盾も持たぬまっさらな「新人達」として立っていた時代が戦国時代であり、そしてそれが、まさに「でもくらしい」ということなのだな。
そこにはさまざまに煩瑣な「人権思想」はなくとも、「平等」と「自由」があった。
権利は求めぬ者からは奪われる。
続けて小林はこう書く。
なるほど武力は、「下剋上」の為には一番手つとり早い手段だったが、この時代になると、武力は、もはや武士の特権とは言へなかつたのであり、要するに馬鹿に武力が持てたわけでもなく、武力を持つた馬鹿が誰に克てた筈もなかつたといふ、きわめて簡単な事態に誰も処してゐた。武士も町人も農民も、身分も家柄も頼めぬ裸一貫の生活力、生活の智慧から、めいめい出直さねばならなくなっていた。
そういう時代の「けり」が、秀吉というほとんど乞食のようだった男が関白にまで上り詰めることでついたことは、一種の必然だったし、そのことを時代の者たちは何も奇異には感じなかったのだろう。
彼が持つ人気のゆえんは、日本という国がはじめて手にした自由と平等の証しとして私たちの祖先たちに刻まれたからにちがいない。
それにしても、「でもくらしい」は今の「民主主義」とはどうやら相当にちがうものらしい。