残暑
さて、九月(ながつき)ばかりになりて、出でにたるほどに、箱のあるを、手まさぐりにあけて見れば、人のもとにやらむとしける文あり。
(さて九月ごろになって、あの人が出て行った後、文箱(ふばこ)があったので、何の気なしに開けてみると、なんと、他の女のところにやろうとした手紙があった)
― 藤原道綱母 「蜻蛉日記」―
暑いです。
ひたすらの残暑。
ここ二、三日は、すこし涼しいかと思ったんですが、今日は暑い。
これが冬だったら、寒い日が続いても
おや、雪が!
なんてことで、それなりのトピックになるんですが、夏はただただ暑いだけです。
古今集、新古今集、いやいや、唐詩だっていい。
それらの中に、夏の歌、極端に少ない理由、わかりますな。
ともかく、ホトトギスの歌だけですもん、夏は。
清少納言だって、
夏は夜。
ですからね。
きっと、昼間は死んでたんでしょう、暑くて。
などと言ってはおりますが、実はもう九月で、立秋からも一ヶ月、どう考えたって暦は秋なんですがね。
そういえば、
秋来ぬと目にはさやかに見えねども風のおとにぞおどろかれぬる
という藤原敏行の歌が古今集の秋の歌の冒頭に載っておりますが、これなんかも、
風の音にさへ季節の推移を感じとった平安貴族の繊細でみやびな感覚!
なんて解釈より、実体は、ひたすら、ひたすら、
早う秋にならんかなあ~、もう暦は秋ですぜ!
という、嘆き節だったのかもしれません。
まあ、引用するものもないので、今夜はただ九月というだけで「蜻蛉日記」。
引用の場面、現代で言うなら、旦那のケータイのメールを妻が盗み見た、といったところでしょうか。
で、子どもを産んだばかりの妻はそこに夫の浮気の証拠を見つけるわけですが、夫はしらを切りつつ、やっぱり浮気相手の町の小路の女のもとへ出かけていく。
(どうも、暑苦しい内容ですな)
で、しばらくして家にやっと帰って来た旦那を彼女は腹いせに門を開けさせずにいると、旦那はなんとそのまま、また愛人のところへ行ってしまう。
このとき彼女は旦那に、かの有名な百人一首の中の歌を書いてやるわけです。
嘆きつつ独り寝(ぬ)る夜の明くる間はいかに久しきものとかは知る
(嘆きながら独りで寝る夜の明けるまでの長さはどれくらい長いものか、門が開くのも待てないようなあなたには、きっとおわかりにならないでしょうねッ!)
でもまあ、このような歌をおくられても、旦那である藤原兼家(道長などのおやじさんです)一向こたえないんですな。
浮気はやまない。
作者の藤原道綱の母は平安朝きっての美人のほまれ高い女の人なんですが、そして古典として残るほどの文章を書く才女でもあるのですが、かかる才色兼備をもってしても、なかなかに男女の仲というのはむずかしいものらしいです。
と、書いていても一向涼しくならないお話でした。
すみません。