バカのメダル
祝祭のない生活は旅籠(はたご)のない長い旅路を行くにひとしい。
― デモクリトス (『ギリシア詩文抄』 北嶋美雪 編訳) ―
東京オリンピックが十八回目のオリンピックだったということを私は知っている。
昭和天皇がその開会式で胸から小さな紙を出して、あの独特な口調で
「第18回近代オリンピアードを祝い、ここに東京オリンピックの開催を宣言、します」
と言ったのを覚えているからだ。
けれど、その後のオリンピックはその前後関係すら覚えていないし、ましてやそれが何回目のものかなんて意識したこともない。
ところが、ディオゲネス・ラエルティオスの 『ギリシア哲学者列伝』という本を読んでいると、古代ギリシアでは、年月の数え方の基準がオリンピックであったことがわかる。
たとえばソクラテスの生年は
第七十七回オリンピック大会期の第四年
とあるし、その没年は
第九十五回オリンピック大会期の第一年
と書かれている。
なんだか、奇妙な気もするが、たとえば信長が天文3年生まれて天正10年死んだ、という元号を使った暦よりはずいぶんわかりやすいかもしれない。
はてさて、そのような4年ごとの祝祭もどうやら終わって、私にもテレビをつけない日が戻って来た。
「祝祭」のない日々も単調で退屈だが、毎日がハレであるような日が2週間続くのも、ちょっとなあ、という気になる。
同じ「旅籠」でも、毎日温泉宿で宴会が続いてはたまらない。
それもまあ、4年に一度ならよしとしようか。
ところで、前述の『ギリシア哲学者列伝』の「ソクラテス」の章にはこんな言葉が書かれている。
では君は、アテナイ人の両親から生まれることがそんなにも貴いことだと思っていたのかね。
これは、ある人がソクラテスに向かって、アンティステネスという彼の弟子はトラキア人の母親から生まれた者ではないか、と非難めいたことを言ったときに、ソクラテスが答えた言葉だそうだ。
思い出したのは、先日の新聞に、アーチェリーの団体で銅メダルを取ったメンバーの一人が元韓国の人だと言うので、そのことを中傷する書き込みがインターネット上で飛び交っていると書かれていたからだ。
昔からバカはたくさんいるが、他者を批難するとき、彼や彼女の現在ではなく、その出自を問題にするぐらいひどいバカはいないだろう。
己の出自や過去にしか誇るものがない者は、そのことによって、自分の今に、語るに足るものが何もないことを、おのずと語っているようなものだ。
他者の出自をあげつらうことの中に現れている己の精神の卑しさに気づかぬほどの者は、仲間同士、インターネットの中でお互いの首に「バカのメダル」をかけあってよろこんでいるらしい。