凱風舎
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掌にめぐらす

 

 

 したがってまずやるべきことは、導関数をどう暗記するかということです。

 

― ファインマン 他2名 『ファインマン流 物理がわかるコツ』 (戸田盛和・川島協 訳)―

 

 
 先日、図書館の書架をへめぐっておりましたら、なにやら魅力的な題名の本を見つけました。
  『ファインマン流 物理がわかるコツ』。

 いいですな。
 「ファインマンさん」の本ならこれまでに3冊くらい読んだことがある。
 内容は、35過ぎに読んだ本の例にもれずすべて忘れてしまっているが、どれもかなりおもしろかった記憶だけはある。
 そのファインマンさんが「コツ」を教えてくれるというなら、私だって「物理」がついにわかるようになるかもしれないではないか!

 というわけで、期待しつつ書架の間で立ち読みをしていたら、その第一章に
 「物理の理解に微分とか積分とかの数学は必要であるが、そんなものにいちいち時間をかけて計算するのは馬鹿げている」
というようなことが書いてあって、今日引用の
  したがってまずやるべきことは、導関数をどう暗記するかということです。
という言葉が書いてある。
  ほんなあ、あんたぁ!
と言いたくなるが、ファインマンさんは委細構わず、いくつかの計算式を載せて、
 「こんなもん、まるごと暗記して、数字を見たとたんにその導関数が頭に思い浮かぶくらいに練習しなさい」
みたいなことが書いてある。

 うーん、これはまたなんとスゴイ言葉なのであろう!
 私の甘ったれた思いなんぞ一挙に粉砕してしまっている。
 導関数を暗記?・・・・・そんなもん、誰がやるんじゃ!!
などと思ったが、よーく考えてみると、実にこれは正しい言葉なのではあるまいか、と思うようになった。
 要は、「勉強とは暗記」であり、そのためには「練習が必要だ」と、彼は言っているのだ。
 ははあ、なーるほど!

 実は、私の塾の生徒の大半は驚いたことに中学生になってもわずか2ケタの引き算を筆算で計算しているのである。
 「そんなもん、暗算でやらんかい!」
と言っても、小学校で何を教わって来たのか、まるでできない。
 もちろん、彼らも筆算をすれば正確な答は出てくる。
 けれども、そのような子の多くは、「計算」はできても「応用問題」はなーんもできんのである。
 私は、ずっと、そのような子たちは「国語の読解力がないのだ」、と思っていた。
 けれど、これを読んで、実はそれはまったくちがっていたのではあるまいか、と思うようになった。
 要するに、彼らは数字を見ても、それを足した数や引いた数、あるいは掛けた数や割合などというのが、すぐには頭に浮かんでこないのだ。
 一方、成績のよい子たちは、そんなことは何の努力もなしに自然に頭の中で大体の数字が浮かんでくる。
 その浮かんできた数字をもとにあれこれ思考を進めるから、応用問題にだって対応できるのだ。
 言ってしまえば、できる子とできない子はスタート地点が50メートルちがう水泳のレースをやっているようなものなのだ。
 同じ数字を見た時の見えている風景が、密林の中と山の頂上ぐらいにちがっているのだ。
 風通しがまるで違う。

 たとえば、マニュアルを読めば操作ができる、という状態の人を、だれも、コンピューターの扱いができるとは言わない。
 コンピューターの扱いができると言うのは、何も考えなくてもそれを動かすことができ、たとえ手に負えない問題が出てきても、ごく自然に試行錯誤をさまざまに試みることを億劫がらず、やがてその正解を導き出す人を指すのである。

 よく、人は「俺だってやればできるんだ」とか言う。
 けれど「やればできる」というのは、「できる人」ではないのだな。
 ごく自然に頭や手がそのように動く人を「できる人」というのだ。
 オリンピックに出てくるどの選手も、みな意識しなくても体が動くようにまで練習した人たちだ。
 物理を学ぶ者もまた、数字を見たら、私たちがその和や差、積や商や割合が自然に浮かぶみたいに、「導関数」が浮かぶ状態になっていなければならないのだろうと思う。 
 その人たちの見る風景は、私なんかが見ている風景とはずいぶん違っているはずなのだ。

 宮崎市定氏は世界の歴史を掌(たなごころ)にめぐらすように語ることができる。
 彼もまた、いちいち資料にあたらなくてもいいほどのものを頭の中に入れてあるから、歴史を自在に往来できるのだろう。
 彼の見ている風景もまた、私たちとはちがうものだ。
 それは、きっととても風通しがよいものであるはずだが、それを支えているのは「暗記」であり、「訓練」なのだ。

 思えば、自分がなぜ、高校の時、物理や化学がわからなかったのかが、はじめてわかった気がした。
 私、「暗記」をする気がなかったんだな。
 「読めばわかることをわざわざ練習するまでもあるまい」
と思っていた。
 ほおっておいても、勝手に数字やら化学式やらが浮かんでくる、そのような練習をまるでしていなかった。
 アホですな。
 まちがいなく、こういうのをアホと言うのです。
 おかげで、肉眼で見えること以外何も見えなくなってしまっている。

 上野さん!
 ちゃんと娘さんに小学校のうちに、計算問題、すらすら解けるようにしっかり練習させておきなさい!
 それも暗算でできるようにしておきなさい。
 これは、実はとっても大切なことのような気がする。

 

 追伸:今日、今から金沢に4日ほど帰ります。