耳順
腹を立てぬことは決して美徳ではない筈だ。
― 宮崎市定 『論語の新研究』 ―
勝田氏は先日めでたく満六十歳になられた。
さて、六十、と言えば、孔子さんによれば、「耳順(じじゅん)」の年である。
子曰く、吾十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順(みみしたが)う。
七十にして心の欲するところに従って矩(のり)を踰(こ)えず。
という有名な章句は、晩年の孔子さんによる簡潔な自叙伝みたいなもんであるが、中の
六十而耳順
貝塚茂樹氏によれば
六十歳で人のことばをすなおに聞けるようになり
なんだそうである。
ほんまかいな。
すでにして貝塚氏の「ことばをすなおに」は聞けない私も、まもなく「耳順」とよばれるようになるのがなんとも不思議である。
わたしのみならず、勝田氏、司氏と話をしていても、とても彼らが貝塚氏の解釈のようになられているなんてことはあり得ないだろう、と思う。
むろんそれは、聖人ならざるわれら、がゆえかもしれないが、むしろ、
六十にして耳逆らう!
というか、耳目に触れるさまざまなことに、「どいや!どいや!!」気分である。
そもそも、老人というものは怒りっぽいものと昔から相場は決まっている。
同じ章句、加地伸行氏によれば
六十歳ともなると他人の言葉を聞くとその細かい気持ちまでわかるようになった。
となる。
なるほど、これはありうるかもしれない。
だてに長くは生きてはいないからな。
私だって、傍若無人に過ぎた昔、よりはすこしはマシになったかもしれない。
とはいえ、私はいまだに中也の
それよ、私は私が感じ得なかったことのために、
罰されて、死は来たるものと思ふゆゑ。
的気分であるのだが。
続いて、吉川幸次郎氏は、というと
耳順う、これは難解な言葉であるが
と、ことわっておいて、
自己と異なる説を聞いても、反発を感じなくなった。つまりそれらの説にもそれぞれ存在理由があることを感得するようになった。さらにいいかえれば、人間の生活の多様性を認識し、むやみに反撥しないだけの、心の余裕を得た、ということだと、私は解する。
うーん、これも孔子聖人説ですな。
「どうしてこんな人間が生きているんだぁ!」
などと、ことあるごとに叫んでいる私は、そんな「心の余裕」なんて絶対要らんわい、と思っちまう。
はてさて最後は宮崎市定氏の訳。
六十歳になると何を聞いても本気で腹をたてることがなくなり、七十歳になっても努めずして度を過ごすことがなくなった。
ふーん、やっぱりいっしょか、と思っていると、この訳語の後ろには宮崎氏の解釈が書いてある。
この一章はあまりにも有名である。併(しか)し、従来の解釈は孔子を教祖として尊崇する立場からの解釈であって、果たしてそれが歴史的真実であったかどうか、私には疑わしく思われる。
さすが、歴史学の泰斗、儒学ではなく歴史学から孔子に向き合おうとしている。
続けてこうある。
耳順、不踰矩(=のりをこえず:「七十歳にして」に続く言葉です)は、私の考えでは孔子が体力、気力の衰えを自覚した嘆声と思われる。
なるほど!
そして、宮崎先生はこう続ける。
腹を立てぬことは決して美徳ではない筈だ。もちろん、何でも腹を立てさえすればいいと言うのではない。腹の立て方にも色々あるからだ。度を過ごさぬことも同様、意志の力で自制する点にこそ美徳がある。自然に度を過ごさないならば、それは血の通わぬ機械のようなものだ。これは本当でない、と自覚したところに、苦労人孔子の値打ちがある、と見たい。
そうだよなあ、と私は思ってしまう。
歎いてるんだよなあ、と思ってしまう。
老いて、私は、怒る気力も、度を越す勇気も萎えてしまったぞ、と嘆いているのだ、孔子さんは。
個人的なプライド、のごときで腹を立てるのは小人のわざであるが、ほんとうに怒らなければならないことには、やっぱり怒らなければならない、と孔子さんはおっしゃっておるのだ。
というわけで、まあ、心配には及びますまいが、勝田氏さん、あなた、六十になったからといって、けっして「耳順う」ことなんかありませんように!
そういえば、中也もこう言っておりましたぞ。
いかにお婆さん、怒りを愉しむことは好ましい!