ホーズもない暑さ
「分かりますかな、先生、これがわかりますかな。もう何処へも行く先がないという意味が?
というのは、人間て奴は、どんなところでもいい、何処か一ヶ所位は、行けるところがなくちや困りますからね・・・・」
― ドストエフスキー 『罪と罰』 ―
暑いなあ。
実に暑い!
暑くてしようがないが、本の返却期限が来たので船橋の図書館まで日盛りの中出かけて来た。
歩いていると暑さで頭がくらくらする。
そういえば、かのラスコーリニコフがネヴァ川の岸を歩いていたのもこのような日ではなかったかしら。
方図もない暑い一日・・・
たしか米川正夫訳の「罪と罰」はこんなふうに始まっていたような記憶がある。
「野放図」という言葉があるのは知っていたが「方図もない」などという言い方があるなんて、後にも先にもその本でしか読んだこともないのだが、でもまあ、その日のペテルスブルクがとんでもない暑さだったんだろうということはよーくわかった。
そして、今日はまちがいなくその「ホーズもない暑さ」だ。
さて、夏休みの図書館、なんてのは、大体受験生がせっせと問題を解いている・・・・というのが昔ながらの風景、とふうにお考えでしょうが、近頃の受験生というのは予備校の自習室なんてところに行くのか、この頃の暑い日の図書館というのは実に老人(男)ばかりがいて皆さん椅子に座って涼んでいらっしゃる。
まあ、暑い、というよりもか、「熱い」と書きたいほどの部屋にいて熱中症になられるよりはずっとよろしいのですが、熱帯夜での睡眠不足を補充すべく、椅子の背もたれに頸を240度ほどの角度に反らせて口をあけて眠っていらっしゃる方が何人もおられる。
いるのは男ばかりだし、なんだか、私、ほとんど「スーパー銭湯」の休憩室にやって来たような気になる。
おかげで、私が椅子に座ってじっくり本を読む、なんて余地はどこにもない。
私、早々に図書館を後にしました。
で、歩きながら、そういえば、今日引用したような言葉を同じ「罪と罰」の中で、酔っぱらいのマルメラードフが言っていたことを思い出しました。
それを確かめにもう一度図書館に戻る気力はもうなかったんですが、たとえそれが頸を240度に反らせて眠るためであっても、図書館という「行けるところがある」うちはまだ人間はいいのだろうと思いました。
実際「何処にも行く先がない」くらい、しんどいことは人間にはありませんからね。
こんなことを書けば不謹慎と言われるかもしれませんが、大雨の日に田んぼの様子を見に行って川に流されて死ぬ老人の方が、行く場所もなく、ただじっと部屋の中にいて、死んでからもその死体の温度が40℃もあるような熱中症で亡くなる老人より、実はずっとしあわせなのに違いありませんもの。