凱風舎
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 「そういえば」 北川司さん


私、7月の終わりから8月にかけてソ連へ行ってたんだ。昔ね。ラスコーリニコフほどの身長はないけど、大股で歩きました。「老婆の下宿」まで。(ローマじゃないよ)
時に気温は27度だったことを覚えています。それは近年にない酷暑で、当時共産政権下では働く人が偉く、消費する(お金を使う)人の方が申し訳なさそうにしていて、レストランのウェイトレスが「27度やって。こんなんやっとられんわ」と言って、お客さんたちの前でへたれていました。(もちろんそれを訳してくれた人がおって分かったのですが)
アルバムは’83とあります。はや30年ですか。

年々に今年は暑いと老婆いひ

〈写真、ぼけてますが「老婆の家と部屋」です。ちなみに私、左のそれ〉


おたよりありがとうございます!

私、司氏を見送りに横浜の港まで行ったことを覚えております。
飛行機じゃなくてナホトカまでの船旅とシベリア鉄道。
「ロマン」というか「不便」というか・・・。
7年後にソ連という国家がなくなる・・・なんてこと、その頃はだあれも思ってもいなかったですが。

たぶん「恩着せがましく働く人しかいない社会」というのがそもそもおかしいのでしょうね。
働くことに限らず「恩着せがましい」というのは、ダメに決まっていますものね。
人生の「貸借対照表」を作ってみせて「貸し方」の方が多いと思っている人はだいたい不幸になりますもの。
ひょっとしたらソ連という国家が採用していた体制(共産主義)というのは、働く者たちの心性をみんな「金貸し婆さん」にしてしまうようなシステムだったのかもしれませんね。

それにしても30年。
一つの国が亡びるのですから、一人の男の頭部から豊かなりし髪がいつしかに消え去っていくのも「むべなるかな」でございますな。

                                                すてぱん
 

 

 

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