楷書
三角関数を習ったとき、そのなんたるかを理解するより先に、サイン、コサイン、タンジェント、という魔法のような言葉の響きに私はまず魅了された。カタカナ表記では、三文字、四文字、六文字と順に語数が増えていく。最初の二つの「ン」のやわらかい脚韻が最後にぴたりと締まる音のならびの、切れ味とリズム。(中略)
そればかりではない。サインは正弦、コサインは余弦、タンジェントには正接と、いずれも漢字二文字の熟語からなるうつくしいべつの顔も持っていたのだった。カタカナの音のつらなりがどんなに心地よくとも、正弦という字面のすばらしさはまことに捨てがたかった。
― 堀江敏幸 「正弦曲線」 ―
いやはや、暑かった。
やっぱり、アジアモンスーン地帯の夏はしんどいな。
そうめんを食べたら後は昼寝するしかない。
けれども、こんな日に、たとえば今日引用したような文章はどうだろう。
ゆったりとしながら、けれども、だらりとくずれぬ楷書のすがすがしさ、とでも言おうか。
どこかにすでにそこはかとなく秋を含んだ夏の朝にいる、とでもいったような気持ちになる。
そんな文章がわたしにも書ければよいのだが。
正しい字体を覚える前に崩し字を覚えたような、そんな文章を書いていてはダメだな。
子曰く、異端を攻(おさ)むるは、斯(こ)れ害あるのみ。