ヒバリ
ひばりのす
みつけた
まだたれも知らない
あそこだ
水車小屋のわき
しんりょうしょの赤い屋根のみえる
あのむぎばたけだ
小さいたまごが
五つならんでる
まだたれにもいわない
― 木下夕爾 「ひばりのす」 ―
目が覚めたら、久しぶりに外が明るい。
晴れているのだ。
梅雨晴れ。
顔を洗いに立つと、もうヤギコは靴脱ぎのところで正座して、ドアを開くのを待っている。
ドアを開けると、さっと朝日が射しこんで、ヤギコはまるで馬場に出たサラブレッドみたいに軽いトロットで駈けていく。
よいお天気。
電車で船橋の図書館に行った帰りを知らない道ばかりを選んで歩いて帰って来た。
路地の古い家からお昼のニュースを読むNHKのアナウンサーの声が聞えてくる。
その声がなんだかこの散歩をずいぶんのんびりしたものにしてくれる。
夏至を過ぎたばかりの真昼の太陽は、まったくあきれるほど短い影しか作らない。
こんなに短い自分の影を踏んで歩くのもひさしぶりだ。
なんとなく方角を決めて歩いていたら、JR津田沼の南口の方に出た。
2年前までニンジンやネギの畑地が広がっていたそのあたりは大きな住宅地に変わろうとしている。
もう建った高層マンションもあれば、戸建ての住宅もあるが、まだまだ建築中の建物もある。
けれどまだその半分ほどは手つかずのままだ。
2ヘクタールほどもあるその場所は鉄柵で囲われて立ち入り禁止の札がかかっている。
ヒバリの声が空に聞こえる。
それは、宅地の開発が始まる前のそこが畑地であったときと同じだ。
クローバーやレンゲの草はらが起伏したあの中にきっといくつかヒバリの巣もあるのだな。
けれど、たぶんあの声が聞かれるのも今年限りなのだろうな。
この頃の日本人は「自然破壊」なんて、どこか遠い熱帯雨林あたりで起きていることだなんて思っているけど、人がたくさん集まればその足下からそれは始まっているんだ。
ヒバリのために開発をやめろ、なんて、そんなナイーブなことは言いはしないが、まるで自分は「無辜」であるみたいに自然保護なんて言わない方がいいな。
よくもあしくも、人が生きていくということはそういうことなのだから。