若鮎
若鮎はあの秋の雁のやうに正しく、可愛げな行列をつくって上ってくるのが例になってゐた。わずかな人声が水の上に落ちても、この敏感な慓悍(ひょうかん)な魚は、花の散るやうに列を乱すのであった。
― 室生犀星 「幼年時代」 ―
この文章は美しい。
たったこれだけの文章で、鮎たちの遡るこの川の透き通った水の色さえ伝えている。
犀星の幼年時代であった明治三十年代の金沢の六月はこんなふうに犀川にやってきたのだ。
そしてそれは私が小学生だった昭和三〇年代も同じだった。
たぶんは今も。
ところで、姉の話によれば、私は六月の犀川で死にかけたことがあるらしい。
その日、姉と一緒に川に遊びに行っていた四歳か五歳の私は、一人姉から離れて遊んでいたかと思うと、姉が「あなや」を叫ぶ間もなく流れに足を取られ流されてしまったそうである。
速い流れを、見る間に川下へと流された私を姉が泣きながら追いかけていると、橋の下あたりの淵となったところでたまたまそこで網を掛けていた鮎とりのおじさんの網にひっかかって私は助かったのだそうである。
さぞや、そのおじさんもびっくりしたであろう。
もしそのときアユ漁が解禁になっていなければ、私はどんぶらどんぶら、勝田氏の家のあたりまで流されて死んでいたのかもしれない。
もっとも、どういうわけだか私はそんなこと全く覚えていなかった。
怖いことだから記憶から消したのだろうか。
それとも、ちっとも怖い経験ではなかったのだろうか。
はたまた、ただただ私がぼんやりしていて記憶にも何も残らなかったのだろうか。
たぶん、三番目の理由によるような気がするが・・・。
いずれにしても、その後の小学校時代も私は、何もコワイとも思わず毎日川に遊びに行っていた。
そんな私が姉からこのことを聞かされたのは私がずいぶんのおっさんになった頃だ。
あるいは姉はそのことを弟に対する罪であったかのように思って黙っていたのかもしれない。
だとすれば姉であることもなかなかつらいものだ。
ひょっとしたら、兄、姉であった人は、その弟や妹が幼い頃に、何気なくしてしまった、というすこし「後ろ暗い」ことを何かしら持っているような気がする。
もちろん、大人になればみんなそれは笑い話になるのだけれど。
でも私、兄貴でなくてよかった!
きっとひどいことをしていそうな気がする。
昨日のテレビでアユ漁解禁のニュースを見ていてそんなこと思い出した。