凱風舎
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四十年

 

 

 何事にしても、あまり楽々とできるようになり過ぎるのはよろしくない。

 

  ― シューマン 『音楽と音楽家』 (吉田秀和 訳)―

 

 吉田秀和さんが亡くなられたそうだ。
 昨日東京競馬場からの帰り、電車の中でケータイを見ていた俊ちゃんから教えられた。
 えっ、と驚いてしまった。
 私は先々週もラジオ「名曲のたのしみ」でその声を聞いていた。
 九十八歳だったというのだから、むしろその年でラジオにそんなレギュラー番組を持っていることの方を驚くべきなのかもしれないが、時折にその番組を聞く私はなんとなく吉田さんというのはいつまでたっても死なない方だと思っていたのだ。

 何年か前、教育テレビで吉田さんへのインタビューを交えた番組が放送されたことがある。
 そこに映しだされた吉田さんにはその声だけでなく風貌にも挙措にもおのづからなる知性がにじみ出ているようだった。
 そんな吉田さんを観ていて私はほとんど衝撃に近い感動を覚えたのだった。
   人はこんなにも知的なままで年を重ねることができるのか!

 それほどまでにそこに座って語っておられた吉田さんの姿は魅力的だった。
 その存在そのものが、「知的である」ということは実は「今あることに興味を失わない」という意味だと正確に告げているようだった。
 そして、その興味ある事柄の持っている意味を、他の権威ある者の言説によってではなく自分自身の力で探ろうとする営為をこそ「知性」と呼ぶのだと言っているようだった。
 すくなくとも吉田さんは世にある「功成り名遂げた」年寄りがやるような「昔がたり」とは無縁の人だった。

 吉田さんは私より四十歳年上だった。
 それは私が吉田さんの年になるまで四十年かかるということだった。
 そのとき私は、自分の年齢から逆に四十年を引いてみた。
 するとそれは私がそのとき教えていた子どもたちと変わらない年になった。
 四十年とはつまり中学生が私の年になるまでの年月であった。
 吉田さんを見ていて私が思ったことは、もし私がもう四十年生きられるなら、今まで生きてきたのと同じだけ人生をもう一度やり直せるということではないかということだった。
 そして人生をもう一度やりなすということは、中学生がけっして五十代の自分なんて一度も想像しないで生きているように、けっして先のことを勘定に入れずに生きるということなのだろうと思った。
 それから何年たったのか正確には覚えていない。
 意志虚弱な私がそう思いそのように意識的に振舞っていたのがどれくらいの期間だったのかも忘れてしまった。
 けれども、私がそう思ったことは忘れずにいる。

 その番組の中で、吉田さんは批評する楽曲のスコアを自分の手で五線譜に書き写しておられた。
 そのとき聞き手が
 「コピーはなさらないんですか」
と尋ねると、ニッコリ笑いながら
 「こうやって書くからおもしろいんじゃないですか」
と言っておられた。

 今日の引用はそんな吉田さんが訳された岩波文庫のシューマンの言葉にしたが、きっと吉田さんはこの文章を深い共感をもって訳されたのだと私は思う。 

 私が吉田さんのようになるのもまた「あまり楽々とできるようになり過ぎるのはよろしくない」であろう。
 まあ、そうなれる気遣いは毛ほどもない、ということはこの際触れずにおいてください。