刺青
おふくろは親父の腕にしなびてゐ
― 「柳多留」―
今日やって来た愛紗君の世界史のプリントを見ると次のようなことが書いてあった。
アッバース朝の都バクダードには、その最盛期三〇万のモスクと六万軒の浴場があった。
ほんまかいな、と思う。
当時のバクダードの人口が一五〇万人から二〇〇万人いたというから、そうなると風呂屋は二〇人から三〇人に一軒ということになる。
そんなもので商売になるんじゃろうか。
高校の先生がどこかの本をコピーして出したプリントであるが、どうも眉つばである。
まあ、そんなバクダードの街には勝てないが、私が子どもの頃の金沢にも銭湯はたくさんあった。
すくなくとも旧市街地なら、当時はまあどこに住んでいても五分も歩けば銭湯に行けた。
そんなにたくさんあっても、混んでいるときに行けば、男湯だけで二〇人ぐらいいることもまれではなかったんだから、バクダードの浴場の数はますます眉つばである。
さて銭湯には老若さまざまな人がいて、そこには当たり前のように肌に刺青をほどこした男たちも中にはいたのである。
背中に鯉が口を開けていたり、桜の花が咲いていたり、すごいのになると背中どころか尻のところまでびっしり彫り物がほどこしてある人もいて、子ども心にも、これはただ者ではないと思ったものだった。
そうかと思うと、色はまだ彫り込まずに墨一色だけで線だけがほどこしてあるだけの人もいる。
若いのは、ひょっとすれば「普請中」で、これから色が加わって行くのかと思わせないこともなかったが、まあある程度の年を越えてそうである人は、なんだか中途半端な気がしたものだった。
さて、そんなふうに自分の背中をカンバスに仕立てた男とは別に、ただ自分の二の腕に字だけを彫り込んでいるという方もおられた。
これはまあ、あんまりパッとしない。
で、ほとんど子どもの私の注意を引かなかったのだが、実はこれこそがただ者でない人だったのかもしれない。
さて、今日の引用の江戸川柳。
親父の腕でしなびているのは、おふくろ自身、じゃないです。
おふくろの方は自分で十分しなびちゃってる。
じゃあ、親父の腕でしなびているのは何かっていうと、おふくろの名前、です。
恋女房だったんですな。
「おめえとは一緒になれねえかもしれねえが、おいらにゃあおめえしかいねえよ」
なんてことを言いながらですな、その証拠立てに若い頃その太い二の腕に自分の好きな女の名前を彫り込むわけです。
こういう場合、名前だけじゃ足りなくて、たいていは「命」という字も添えますな。
なにせ、その女の人が自分の命なんですから。
おはな命
とか
おゆう命
若気の至りですな。
若気の至りですが、何でも「至り」に達すれば、よし、としたものです。
ダイヤモンドを贈るより一生消えないものを自分に彫りつけたんです。
で、周りも
「なんだい、そんなに好きなのかい。好きなら一緒になるしかしょうがねえやな」
なんてことになって所帯を持ったわけです。
その名前がいま老いた親父のしなびた腕にしなびているわけです。
いいですなあ。
人生というものです。
まぎれもなくしあわせな人生です。
さて、大阪市の職員の中の110名の刺青をなさっていたという人たちの中にもきっと
美恵子命
なんて腕に彫ってた方もおられるんでしょうなあ。
ちなみに美恵子は私の姉の名です。