凱風舎
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本当にそうか

 

 卑怯者は、安全な時だけ、居丈高になる。

 

 ― ゲーテ 「タッソー」 (『ゲーテ格言集』 高橋健二 編訳)―

 

 鳩山元首相に関してはさまざまな批判がある。
 一昨日の毎日新聞の「万能川柳」の欄に並んでいたのはその大半がイランを訪れた元首相への揶揄の句であった。
 そして、15日の沖縄返還40周年記念式典への参加についても何かと言われている。
 たとえば、同日のMSN産経ニュースというのには、このような記事が載っていた。

 

 自民党の溝手顕正参院幹事長は15日の記者会見で、沖縄県の本土復帰40周年記念式典に、在日米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題で迷走した鳩山由紀夫元首相が出席したことについて「民主党の外交担当の最高顧問として行ったようだが、ちゃんちゃらおかしい。かえって沖縄の世論を逆なでして困ったことになる」と批判した。

 脇雅史参院国対委員長も「今、行くという無神経さは本当に理解できない」と非難した。

 みんなの党の江田憲司幹事長も15日の記者会見で「ガラス細工のように積み上げた基地返還の道筋を粉々にしてしまった。その罪は万死に値する」と痛烈に批判。さらに「一刻も早く民主党政権を交代させるのが沖縄問題解決の最低条件だ」とも述べた。

 けれども、本当にそうなのか。
 ここに発言している政治家は、何が「沖縄の世論を逆なでして」いるのか、何が「無神経」であり、また「基地返還の道筋」がどのようなものであるべきかということを本当にわかっているのだろうか。
 彼らは鳩山氏が普天間基地の移設先を「最低でも県外」とした発言が、その返還交渉をダメにしたと言っているらしい。
 それは、沖縄県人の期待を膨らませ、結果として日本政府並びに私たち日本本土の住民たちへの不信感を募らせたのだと。
 本当にそうなのか。

 1950年代全国各地にあった米軍基地は地元の反対闘争で次々と返還されていった。
 石川県の内灘にあった米軍試射場もそのようにして返還された。
 そのようなことがおこなわれたのはは1952年のサンフランシスコ平和条約の発効で日本がアメリカから「独立」した後のことであった。
 その結果50年代本土の33都道府県に約1300㎢あった米軍基地の面積は1965年には307㎢、75年には97㎢、そして現在は81㎢になった。
 16分の1である。

 さて、沖縄の軍事基地はどうか。
 アメリカの施政権下にあった時代の55年当時180㎢であったと言われる沖縄の空軍基地の面積は1965年に307㎢に増え、その後現在においてもいまだ228㎢もあるという。
 
 主権を取り戻した本土では劇的に減った米軍基地が、沖縄では「日本になったあと」も減らないのはなぜなのか?
 「なぜ?」と思わない方がどうかしている。
 いったい日本政府は「同じ日本なのに」本当に沖縄の米軍を本気で減らそうとしているのか?
 普通に考えればそう思う。
 それが沖縄の人たちが抱いている「不信感」というものの正体だ。

 鳩山元首相が《最低でも県外》と言ったことが普天間問題をこじれさせたと人々は言う。 
 だが、いったい彼以外の歴代の首相で日本本土の国民に対し、沖縄の痛みを分かち合おうと本気で言った人がいただろうか。
 そして、その痛みをアメリカに向けて本気で語ろうとした首相がいただろうか。

 その試みは挫折した。
 なぜ挫折したのか。
 それは彼が沖縄が持つ米軍における「戦略的位置」という「現実」を理解していなかったからだと言う人がいる。
 そんな理解不足しか持たなかった首相が今沖縄を訪れるのは「ちゃんちゃらおかしい」と嘲る政治家たちがいる。
 だが、冷戦終結以来20年以上たつ今日、いまだにその米軍の「戦略的位置」とやらがなぜ正しいと言えるのかを、ちゃんと検証した政治家はいるのか。
 それを検証して、沖縄の負担を本当に減らそうとした政治家はいたのか。

 沖縄に日米安保の重荷を背負わせて平気でいる日本人は、福島を放射能まみれにして平気でいる日本人である。
 返還記念式典から二日たって、もう沖縄についてはしばらくはマスコミは語らないだろう。
 そうやって、私たちは忘れるのだ。

 鳩山元首相の試みは挫折した。
 その挫折は沖縄県民を失望させた。
 なまじ希望を持たされただけに、そのことがかえって基地返還の道筋をこじれさせたのだという政治家は、要は「寝た子を起こした」と思っているだけなのだ。
 けれども、そもそも沖縄県民は眠っていたわけではない。
 起きていたのだ。
 言っても届かぬことにいら立ちながら、それでもおとなしくしていただけなのだ。
 そして、今回、本当に腹の底からつくづく思ったのだ、日本政府などあてにはできない、と。 
 
 もちろん、かつて「宇宙人」とさえ呼ばれたらしい鳩山氏の感性感覚はどうもわからぬところもある。
 けれども、彼が「最低でも県外」と言った首相であることは、その挫折を差し引いてさえ私は評価したいと思っている。
 それは「日本人の宿題」なのだと心から言った最初の総理大臣だったのだから。

 それにしても、「万死に値する」なんて言葉がすらすらでてしまうような軽薄な政治家ばかりがいっぱいいるなんて、本当にイヤになるなあ。