古傷
傷の痛さの要因は、その深さや広がりよりは、むしろその古さにある。繰り返しおなじ〈傷の掘割〉が切り開かれたり、数えきれないほど手術を受けた傷がまた処置を受けるのを見る、これがひどいことなのだ。
― フランツ・カフカ 『夢・アフォリズム・詩』 (吉田仙太郎 編訳)―
うーん。
「先輩という名の《熱風》」ですか。
ろくなもんじゃないですな、そもそも「熱風」というものは。
ヨクナイモノデス。
みんな笑ったんでしょ。
笑ったに決まっています。
「テラニシならゼッタイあんなこと言いそうだよなあ」
そう思ったに決まっている。
そう思って笑ったに決まってます。
ぷっひーん。
でもね、実は、かく言う私も読みながらげらげら大笑いしてしまったんです。
だって、おもしろいんだもの。
そうは言っても、私、当事者だからなぁ。
と言うか、被告、だからなあ。
でもって、よわったことに、身に覚えがある。
身に覚えがある事を告発されるのは、つらいもんです。
他人事ならよかったのに・・・・・。
こんなとき、博多の人はあのお面をかぶって顔を隠すのでしょうね。
・・・なんてこと書くと、全然反省してないみたいでしょ。
でもね、言っておきます。
時々、かの「旗本退屈男」のように
天下御免の向う傷
なんて啖呵を切って自分の古傷を威張ってみせるバカもいますが、本当はそうじゃない。
カフカが言うように、傷の痛さはその古さにあります。