「も」
迅雷風烈には必ず変ず。
(「迅雷」は突然の激しい雷。「風烈」は暴風。それらのときには(先生は)必ず居ずまいを正した。)
― 『論語』 「郷党 第十」 (吉川幸次郎)―
司馬遷の書いた『史記』の「孔子世家」によれば、
孔子は身長が九尺六寸(二二〇センチ)であったから、人みな彼を長人とよんで驚嘆した。
と書いてある。(当時の「一尺」は23センチ)
とてつもなくでかい。
アメリカならバスケット選手になれそうである。
同じ『史記』の「項羽本紀」には
籍は長(たけ)八尺余、力能(よ)く鼎(かなえ)を扛(あ)げ、才気、人に過ぐ。
(項籍[項羽]は六尺ゆたかなの大男で、鼎をもち上げる腕力があり、才気は人なみすぐれている)
とあるから孔子さんはこの項羽よりはるかに大きいことになる。
項羽というのは、言うまでもなく、始皇帝の作った秦帝国を滅ばした英雄である。
虞美人を傍らに置いて、四面楚歌する陣中で
力、山を抜き 気、世を蓋う
と歌った男である。
その最後の戦いで自分を追いかけてきた騎兵隊長である赤泉侯に対し
項王、目を瞋(いか)らしてこれを叱(しっ)すれば、赤泉侯、人馬倶(とも)に辟易(へきえき)すること数里。
(項王が目をカッと見ひらいて叱咤すると、赤泉侯は人馬もろともに驚いてたじろぐこと数里(二、三キロ)。)
というほどの豪傑である。
ところが、孔子さんはこれよりデカイ。
まあ、ただ者ではない。
そのただ者でない方が「迅雷風烈」にあうと「居ずまいを正した」というのである。
なぜそうしたのかは吉川幸次郎氏も宮崎市定氏も書いていないが、中公文庫の『論語』を開いてみると、訳注の貝塚茂樹氏は
雷難や暴風雨にあって顔色を変えられたのは、いくら勇気のある孔子でも、やはり少しびくびくしたところに彼の人間らしさがあったのであろう。
と書いておられる。
どいや!
おかしいやろ、これ!
2メートルを超える大丈夫たる孔子さんが雷にビビるかぁ。
だいたい孔子さんは時としてなかなかオコリンボだがどんな状況の時だってビビったりしない。
私のごとき素人が大学者先生に文句をつける筋合いはどこにもないが、どう見てもこれはおかしいだろ。
迅雷風烈に居ずまいを正され謹慎なされたのは、そこに天からの声を聞こうとされたからではないのかなあ、と私は思うんだがなあ。
というわけで、政治、経済はもとより近頃は大気の状態まで「も」不安定な日本列島の中で、当地、今日は午後二時過ぎから「迅雷風烈」でした。
八尺には足りぬ私も、一応孔子の徒として少しく色を変じておきました。
もちろん、ビビったわけではありません。