存在証明
自分の住む所には
自分の手で表札をかけるにかぎる。
精神の在り場所も
ハタから表札をかけられてはならない
石垣りん
それでよい。
― 石垣りん 「表札」 ―
若者が死ぬと、彼、あるいは彼女はこんな夢を持っていたのに、と決まって言われる。
そこで語られる「夢」がはたして夢と呼ぶほどのものであるのか、とは誰も思わないらしい。
それが何であれ、なにしろ若者は夢を持っていなければならないと世間は思っているらしいのだ。
だが亡くなった者は自分で表札はかけられない。
けれど生きている者も若者たちはまるでそれだけが若者であることの存在証明のように夢を求められる。
「〇〇という夢を持っている〇〇さん」
かわいそうに、と思う。
現に今自分がこうしている、ということにではなく、夢にしか存在証明がないと思わされている若者たち。
それを不幸だと、なぜみんな思わないのだろう。
松井がレイズとマイナー契約をしたという。
記者会見をTVニュースで見る。
大リーグでさまざまな栄誉を手にしてきたあなたが現時点でマイナーからまた始めることによって何が証明したいのか、というような記者の質問に松井は
ただプレーがしたい、野球がしたいという気持ちだけですね。
特別何かを証明したいという気持ちはないです。
と、答えていた。
皆が皆、まるで憑かれたように他人の存在証明に求め、自分の存在証明をしたがっているように見える現代、至極まっとうな言葉を聞いた気がした。