戦国DNA
松田金七も大和の武士だ。奈良で人と争論して打擲され、死を決して戦おうとしたが、無理に引きとめられた。以後、自分の鎧の背に金箔で「天下一の卑怯者」と書き付けた。
― 海音寺潮五郎 『武将列伝』 (「蒲生氏郷」)―
橋本治の『ひらがな日本美術史』というのは実におもしろい本で、中にはいくつか「イケナイ絵」も載っている巻もあるので、迂闊に中学生なんかに渡したりすると
「せんせー、イヤラシイ!」
なんて言われてしまうので要注意だが、中でも笑ってしまうのは戦国時代の兜や鎧について書かれた「遊んでいるようなもの」という章で、写真を見るだに、よくもまあこんな馬鹿げた意匠を思いつくものだと呆れてしまう。
黒田長政は朱塗りのどんぶりを兜にしてしまっているし、南無阿弥陀仏と書いた卒塔婆を頭に載せて戦に出て行った奴もいる。
片肌ぬいだ人体を模した鎧をつけた奴もいれば、と金色のサザエの兜をかぶった奴もいて、そんな奴らがあいまみえた戦場というものを想像すると、実は戦国時代というのは極めて明るい風が吹いていた時代だったんだろうと想像がつく。
とまあ、それぐらいの知識はあった私だが、それでも上の文章を読んだときには大笑いしてしまった。
自分のことを
天下一の卑怯者
なんて言葉でアッピールしながら戦場に出かけるなんて、まあいったい何事じゃろう!
これは相当のインパクトがあったんでしょうな。(だから記録に残っている)
もっともこれは背中に描いてあるのだから、敵に見せるためではなく
「貴様ら、俺のような《天下一の卑怯者》より後ろを走っているなんてのは、その臆病ぶりは俺以下ってことだぜ」
と、味方をアジっているのかもしれない。
まあいずれにしろ、この時代の鎧兜のデザイン合戦というのは、なんだかパンクのあんちゃんたちが自分の髪型やら服装やらをどんどんエスカレートさせて行くのと似ているな。
などと思っていると、夕方試験前の勉強にやって来た野球部のクシダ君のTシャツの背中には
野球馬鹿!
と大書してある。
ホマン君の背中には
努力
の二文字だ!
うーん。
戦国武将の血は若者のTシャツに脈々と受け継がれておりますなあ。
まあ、かく言う私も、高校時代、白い肩掛けカバンの内側に何がうれしかったか大きなひょうたんを描いて、中に
朽助
なんぞと大書し、そのかたわらに花びらを散らして
ハナニアラシノタ トヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
などと、わかったようなこと書いてイキガッテいたんですがね。
いやはや、若いということは・・・・・。