犬
四月は残酷極まる月だ
リラの花を死んだ土から生み出し
追憶に欲情をかきまぜたり
春の雨で鈍重な草根をふるい起すのだ。
冬は人を温かくかくまってくれた。
地面を雪で忘却の中で被い
ひからびた球根で生命を養い。
(中略)
このしがみつく根は一体何んだ
このじゃりの多い塵(ごみ)から、どんな枝が生えるというのだ。
人間の子よ、君には何も言えない、何にも
見当がつかないのだ、君は
毀(こわ)れた偶像の山しか知らないのだから、そこでは
太陽が照りつけ枯れ木には隠れ場もなく
こおろぎを聞く慰めもないのだ。
ひからびた岩には水の音もない。ただ
この赤い岩の下に影があるだけだ。(後略)
― T・S・エリオット 『詩集 《荒地》』 「1 埋葬」 (西脇順三郎 訳) ―
それにしても、なんと寒々とした四月だ!
すくなくともこの国においては、いつだって四月というのは歓びの月であったはずだ。
それなのに、この肌に感じる寒さは何だ。
桜の花は散ったのに、地は緑に覆われたのに、私は終日暖房の効いた床に座り、ほとんど茫然として為すこともない。
去年の春が暖かかったのか、寒かったのか、私は覚えていない。
そんなことを思う間もなく、私たちの目はいつも〈東北〉を見ていたから。
けれども、それから何も起きなかった。
何も起きない一年があった。
いま私たちにあるのは深い徒労と寒い四月だ。
エリオットが謳った「四月」なぞ、北緯50度を超える英国の荒涼たる風景のもとで生まれた詩だと思っていた。
けれども、それはちがったのだ。
ここもほんとうは《荒地》だったのだ。
雪に覆われ見えなかったこの国のほんとうの風景がいまあらわに私たちの目の前にある。
四月の私の背中を寒くしているのは、この冷たい雨よりもたぶんそんな風景の方だ。
エリオットのこの詩の終りの方にこんな科白がある。
昨年君の畑に君が植えた
あの死骸から芽が出はじめたかい?
今年は花が咲くのかな?
それとも不時の霜でやられたか。
死骸から芽が出る?
けれども、いま私たちが抱えているたくさんの〈死骸〉を土で覆い、ただ形ばかりの「埋葬」で終わらせようとしているのはだれですか。
それを咥えてさまよっている犬たちがいまもどこかで鳴いているというのに。