凱風舎
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ゴザ

 

 たましいのせかいでは
 あなたもわたしもえいえんのわらべで
 そうしたおままごともゆるされてあるでしょう
 (中略)
 ひとつやねのしたにすめないからといって
 なにをかなしむひつようがありましょう
 ごらんなさいだいりびなのように
 わたくしたちがならんですわったござのうえ
 そこだけあかるくくれなずんで
 たえまなくさくらのはなびらがちりかかる

 

  ― 新川和江 「ふゆのさくら」 ―

 

 昨日の雨で欅の木が芽吹いたらしい。
 青空に伸びた枝々の先がみなぼうっと緑色にけむっている。
 ほう、と思う。

 遠い昔、山の温泉にいた頃、雨上がりのある四月の朝、目が覚めると、それまで灰色にくすんでいた周囲の山々がうっすらと薄緑色になっていたことを思い出す。
 それから山は一雨ごとにその緑を濃くしていったのだった。
 ああ、そういうものなのか、と思った。
 そのようにして春はやってくるのか、と思った。
 カレンダーが四月だから春なのではなく、山が緑ぐむから春なのだとそのとき初めてわかった。
 そうして、死んだように眠っていた山がそうやって目覚めてゆくのを毎朝眺めていると、それを見ている自分もまた、山と同じように一雨ごとに生き返っていっているように思えた。
 むろん、それは幼稚な感傷にすぎないのだが、そのような感傷を自分に許すほどに自分が回復しているのだ思ったものだ。
 

 それにしてもあたたかい。
 上着を着て歩いていると汗ばむほどだ。
 あの公園のベンチに座ろう。
 桜は昨日の雨にもそんなに花を散らさずにいる。
 そんな花の中でヒヨドリたちが蜜をついばみながら夢中になってさえずっている。
 あんなに寒い日がつづいたのだもの、今年の花は鳥たちにとってもいつも以上にうれしいにちがいない。

 ああ、それにしても、なぜなんだろう。
 こうやってぼんやりと桜の花を見上げていると、今日は、姉に言われておとなしくすわっていた子どもの頃のままごとあそびのゴザの上から感じていた、その下にあった小石の、あのでこぼこした感覚が不意に不意にこんなにもなつかしい。