君は覚えているかしら
響を簡単に説明するならばこれは言葉が最初に我々に與へる印象に始つてその言葉が我々に働き掛けた印に最後まで我々の頭に残るものであり、それによつて我々がその言葉、或は幾つかの言葉を思ひ出すのであるのみならずその響が我々に傳はることで我々はその言葉を掴む。
― 吉田健一 「詩について」―
中学一年生に期末テストの国語の問題を見せてもらったら、
光陰矢の如し
という語に傍線が引かれ、その意味を書きなさい、というのがあった。
で、野球部のニイダ君の解答を見たら
光と陰とは矢のようだ
と書いてある。
これでは〈矢〉の比喩の意味も〈光陰〉が表す意味もいっこう明らかにされていないというので、バツが付いていたが、
「時間の過ぎゆくことは、矢のように速い」
などという当り前の解答より、この方がいっそ詩的に響くなあ、私は大いに感心したものだった。
とはいえ、一応、ここは塾なので、〈詩〉より世間で通用している意味を教えなければ、と、思いたってホワイトボードに
少年易老学難成
一寸光陰不可軽
と書いてやったら、みんな、口々に漢字を読もうとしているが、いかんせん中学一年、誰一人
少年老い易く学成り難し
なんて読みはしない。
そこで
未醒池塘春草夢
階前梧葉既秋声
と、残り二行も書き足して
ショウネンイーロウ ガクナンセイ
イッスンコウイン フーカーケイ
ミーセイチートウ シュンソウム
カイゼンゴーヨウ キーシュウセイ
と、お経みたいに大きな声で読んでみせると、みんなおもしろがって私のあとについて声を合わせて唱えている。
何度も唱えて、みんな暗誦できるようになったところで、書き下し文の方も唱え
「これはおまえらが歴史で習った「朱子学」というのを始めた朱子という人が作った『偶成』という詩で、まあ、『おまえら若いうちに勉強せいよ、あとで後悔するで』ちう、厭味な詩や」
と、意味も教える。
たしか向田邦子に「眠る杯」というエッセイがあって、それは子どもの頃、『荒城の月』の
めぐるさかづき
の部分を
ねむるさかづき
だと思って歌っていたという話だった。
これに類する話は誰にでも経験のあることで、言葉というものは意味を伝えるものだと一般には思われているが、たぶん言葉で一番大事なのは響きということだ。
そして、私たちが、子どもの頃歌った歌を忘れずにいるのは、それにメロディが付いているということだけではなく、それを実際声に出して歌ったからで、実は全く意味なんてよくわからずに歌っていた。
そして、意味などというものは大人になってからわかって、それでいいものなのである。
子どもの頃はメロディーを含めてその音の響きを楽しんでいればそれでいいのだ。
そういう感覚が子どもの国語の力を伸ばして行く、などといっぱしの塾の先生みたいには言いたくないが、響に関する感受性が私たちの言語と思考の力を培っていくのだ。
このことは詩というものを考えるときも、とても大切なことで、例によって一般には大変わかりづらい吉田健一の文章(実は私はこれが大好きなんだが)が言おうとしているのもそのことだ。
だから、たとえばこの漢詩にしても、もともとは中国語で書かれている以上、中国語で読むことはできなくても音読みする方が詩としての本質ははっきり子どもにもわかる。
成・軽・声
という文字が「セイ・ケイ・セイ」という脚韻を踏んでいるというのも、おもしろがって音読みしているうちに自然にわかることなのだ。
(まあ、ここは塾なので、「階」という字から「皆」という字の音読みが「カイ」であることを教えることもできるし、「軽」も「経」も「径」も「茎」もなぜ「ケイ」と読まれるのか、その共通点を子どもらに気づかせてやることもできる)
さて、漢詩をよむおもしろさに味を染めた子どもらが要求するので、次の授業で教えたのが、これ。
春宵一刻直千金 しゅんしょういっこく あたいせんきん
花有清香月有陰 はなにせいこうあり つきにかげあり
歌管楼台声細細 かかんろうだい こえさいさい
鞦躚院落夜沈沈 しゅうせんいんらく よるちんちん
(蘇軾 「春夜」)
子どもたちが
シュウセンインラク ヨル チンチン
と最後の部分を笑いを含んだ大きな声で読み上げたのは言うまでもありません。
《鞦躚》が「ぶらんこ」、《院落》が「囲いのある中庭」という意味は教えましたが、
花を愛でる宴が終わったあと、人々の去った庭の、誰も乗っていないブランコに花びらは散りかかり散りかかり、春の夜は静かに更けてゆく・・・
というそのしみじみとした情趣が彼らに本当にわかるのはあと20年後で十分です。