アワビの片思い
「鉄砲の弾に当たったって、オレの頭は堅いから平気だよ」ということを示そうとして、兜の鉢全体を「エビ」や「サザエ」にデザインしちゃったやつもいる。
― 橋本治 「ひらがな日本美術史 3」((遊んでいるようなもの 「変り兜」) ―
日曜日の昼過ぎ、たかふみ君がやって来て、
「せんせ、これあげる」
としわしわのスーパーの袋を差し出すから
「なんだ」
と聞くと
「サザエとアワビ」
と言う。
受け取って中をのぞくとどれもとてつもなくでかい。
「すげえな!」
「うん。
勝浦のおじいちゃんがとったやつ。
漁師なんだ。
お母さんがこれまで三年間ありがとうございましたって言って来いって」
それだけ言うとたかふみ君は帰って行った。
それにしてもデカイ。
アワビは私の掌ほど、サザエは拳ほどもある。
とりあえずこれは酒を飲めということだろうと、昼間ではあるが、台所に立ってサザエは壺焼きにしようとグリルに入れようとしたら、角がひっかかって中に入らない。
それぐらいデカイ。
それでもなんとか押しこんで、アワビの方は刺身にする。
酒を酌みつつ、それぞれ一個ずつをそうやって食べたら、なんと腹が一杯になってしまった。
なにしろテノヒラとコブシである。
司氏に写真を送ってイバッたら、
ゴーセ―やのう!
と返事が来た。
たしかにゴーセ―かもしれないが、こんなものは一人で食べるべきものではない。
仲間がいて、うまいうまいと言うて食べるべきものである。
独りの酒のつまみというのは、もそっと質素なほうがいい。
・・・などと言ったらバチが当たるが。
はて、食べ終わって台所に置かれたアワビの殻を見る。
その内側は真珠色に輝いている。
外側は武骨にくすんだ色におおわれながら内はつややかな乳白の虹色に光を反射している。
たぶんその内側はサザエが死ぬまで一度も日の光を映すこともないところなのに、なぜこんなにも美しい内壁を彼らは造り上げるのだろう。
そのことをあれから考えていたけれど、何の解答が見えたわけではない。
もちろん道学者風な感想を書いてもいいのだが、そんなことではないような気がする。
その細片を螺鈿(らでん)にした人たちのことをぼんやり考えてみる。
あるいはボタンに仕立てた人たちのことを。
その美しさに魅かれた人間はこの貝殻を捨てられなかったのだ。
(サザエを兜にしてしまったやつだって、それを金色に光らせていた)
けれど本当は、包丁を入れられて身を縮め身をくねらせたかの生き物のことを、ただぼんやり考えているだけのことだ。
そうやって自分の内壁を美しくして生きていたあの生き物のことを考えているだけのことだ。