大石君へ
つかれましたか
もうじき 新しい椅子が届きますよ
― 岸田衿子 「てがみ」 ―
あれは彼が東京の大学に行って一年ほどたった夏休みだったろうか、帰省して来た邑井君が
「てらにっさん、中野重治の『はたきを贈る』はいい詩やわあ」
と、言うのだ。
それは私がさほど心にも留めずに読み飛ばしていた詩だった。
私は言われるままに本棚から詩集を引っ張り出してその詩を読み返してみた。
すこし長いが以下に書き写してみる。
はたきを贈る 中野重治
大学前の一軒の荒物屋の店さきに吊るしてあつたのだ
金五銭だつたのだ
領(えり)にさすわけにも行かなんだ
腰にさすのもはばかられた
おれはその白いふさふさを
通りにいる子供の顔にさしつけてやつた
そしてくるくる廻してやつた
すると白いふさふさの間で
丸めた眼や細めた眼やのたくさんの笑いが花咲いた
ある笑いの如きはよろこびに揺られて逃げて行つた
君は知つていよう
東京というところは兇悪な都会だ
その兇悪さは 影のように忍びこんで来る煤(すす)やほこりに映じている
それに 君は毎日 君の生活を あれらの判任官どもの間ですりへらしている
そしてそのために君の言葉は粗くなつて来るのだ
見たまえ
これは繊維の濃(こま)かな哀しい日本紙の手ざわりだ
そしてこれには無邪(むじゃ)な少年の笑いの祝福が匂つている
美しい日曜の朝に君の部屋を掃除をして
この清浄な白いふさふさでもつて
君は君の書物や机のあたりを払いたまえ
君の心にふりかかつてくる煤とほこりとを払いたまえ
そしてしとやかな言葉づかいで静かな半日を憩(やす)みたまえ
そうか、いい詩なのだ、と思った。
そして、この詩のすばらしさを見つけた邑井君の東京での生活を思ってせつなくなった。
そして、故郷にいながら彼にすこしも「はたき」を贈ってこなかった自分を責めたくなった。
君のブログを読んで、なぜだかそんな昔のこと、思い出した。
私が「はたき」を贈れないことはあのころ以上なのだが、私のかわりにだれかから君のところに
《もうじき 新しい椅子が届きますよ》
というてがみが届くといいのにと思った。