凱風舎
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改訂

 

 

 過去の出来事が意味の改訂を拒絶するというのは人間が成長を止めたということと同義である(それゆえ、意味の改訂を拒絶する出来事の記憶のことをフロイトは「トラウマ」と呼んで治療の対象としたのである)。

 

 ― 内田樹 「不便さと教育」 (『内田樹の研究室』2012・3・10)―

 

 2時46分を知らせる放送が市役所から流れてきた。
 ロウソクを灯し線香を立てた部屋に4人の高校生たちも勉強の手を休めて黙って頭を垂れていた。

 あれから一年。
 それは長かったのか、短かったのか。
 高校生たちは皆、短かった、と言う。
 私にとっては、とても長い一年だったのだが。

 新聞には被災地のたくさんの写真とさまざまな記事が載っている。
 書評欄にはいろいろな震災関係の本の書評が載っている。
 そうか、と思って読む。

 ニュースで追悼式での天皇陛下のお言葉を聞く。
 白木の標の前に立っておられる両陛下を見ると八月十五日を思い出す。
 追悼とは忘れないということだ。
 あるいは思い出すということだ。
 「3・11」は私たちにとっての新たな「八月十五日」となっていくのだろうか。

 

 内田樹の昨日付けのブログに、今日冒頭に引用した言葉が書かれていた。
 「トラウマ」へのこれほど明快な定義を私は読んだことがなかった。
 「トラウマ」を言う者がなぜダメなのかが、はじめてすっきりと腑に落ちた。
 彼らは「過去の自分」にしがみついている人たちなのだ。

 人々の中で震災や原発事故の意味は「改訂」されてきているだろうか、と思った。
 なかんづく電力会社や政府の人々のあいだで、それはなされてきているのだろうか、と思った。

 「意味の改訂を拒絶する」者とは、本当の意味でその出来事と向き合っていない者のことだ。
 その意味では「絆」を言い続ける者もまた「トラウマ」と言えば自分を正当化できると思っている者と同列だろう。 

 「3・11」は私たちにとっての新たな「八月十五日」となっていくだろう。
 あるいは、そうならなければならないだろう。
 同じ震災でも「3・11」が「1・17」とちがうのは、そこに原発事故があったからだ。
 だからこそ、「3・11」は「八月十五日」と同じように、この国のかたちが変わることになった日として記憶されねばならないのだと思う。

 私たちはこの国のかたちと私たちの生活のあり方を「改訂」できるだろうか。