童女
春の苑(その)紅(くれなゐ)にほふ桃の花下照る道に出で立つ少女(をとめ)
大伴家持
肩から掛けた布製のカバンに
あやは
と名前が刺繍してある。
小学1年生。
こんど、2年生になる。
お友だちのゆさちゃんがお姉ちゃんを迎えに行くと言うので、ゆさちゃんのお母さんの車に乗って一緒にやって来たのだ。
ドアのところで
「あいちゃーん、むかえにきましたよー」
とゆさちゃんが大きな声で呼んだけれど、部屋の中はしーんとしている。
それはゆさちゃんをからかうためにみんながわざとそうしているのだけれど、はじめてのあやはちゃんはなんだかふしぎなきがする。
「あいちゃーん、むかえにきましたよー」
こんどはもっと大きな声で呼んだけれど中はやっぱりしーんとしている。
ゆさちゃんは中に入ろうとする。
たしかにドアは開いているけれど、知らない人のおうちだ。
「だいじょうぶ?」
小さな声で聞いてみたら
「てらちゃんのとこはいつもこうなの」
ゆさちゃんも小さな声でそういう。
ゆさちゃんが靴を脱いでいるから、あやはちゃんもそうする。
うすぐらい台所のところで部屋の引き戸を開けたゆさちゃんの後ろから中をのぞくと、あいちゃんのほかに高校生のお姉さんが3人ニコニコしながらこっちを見ている。
それからひざかけをしていすに座ったおじさんがひとり、やっぱりにこにこ、こっちを見てる。
中に入る。
本がたくさんあるお部屋だ。
水槽の金魚をのぞいていると、おじさんが
「あやはちゃん、ていうのか」
とにこにこしながら言う。
カバンに書いてある名前を読んだんだ。
おじさんの足もとに猫が眠ってた。
「ね、猫、いたでしょ」
ゆさちゃんが言う。
「猫、さわってみてももいい?」
おじさんに聞く。
「いいよ」
「ひっかいたりしない?」
「だいじょうぶ」
猫をなでるおじさんの手のとなりをおそるおそるなでてみる。
平気だ。
こんどはひとりでなでてみる。
猫が目をあける。
「猫、かわいい」
でもね、ほんとにかわいいのは君たち二人なのだよ。
まったく童女ほどかわいいものはこの世にないなあ!
見ているだけで、ほんとうにしあわせになってくる。
しあわせになるというのは、知らず知らずに自分がいい人になってしまっている、ということなんだよ。
きっと、どんな極悪人でも、君たちを見てると、いい人でいたいなあという気になってしまう。
君たちこそがこの世の宝物なんだよ。