バラの花
「ぼくは赤い顔をしたおじさんが住んでいる星を知っている。そのおじさんは花の匂いをかいだことなんて一度もないんだ。星を見上げたこともない。誰も愛したことがない。その人はやることと言えば数字を足すこと以外なーんにもしたことがないんだ。そして、一日中そのおじさんは、ちょうど今の君みたいに「自分は大事なことをやってる人間だ!自分は大事なことをやってる人間だ!」って何度も何度も言うんだ。その人はそうやってイバッテる。でもそんなのなんてぜんぜん人間なんかじゃない ― あんなのなんてただのキノコだよ!」
― サンテクジュペリ 「星の王子さま」 ―
今ぼくの机の上の青い空き瓶には黄色いバラの花が一輪差してあります。
バラの花なんてあまり買うこともないのだけれど、そんなのを買ってきたのは、こないだ『星の王子さま』をひさしぶりに読んだからです。
それで昨日街に出たらふとバラの花が目について、ついつい買ってしまったのです。
ご存知のようにあのお話は王子さまと四つしかトゲのないバラの花のお話なんですからね。
もっとも、あの本に載っている絵ではそのバラの花は赤いのですが。
ところで、ぼくが、なんでまた『星の王子さま』なんかを読み返すことになったかというと、春休み、こんど三年生になる子たちと英文の《The Little Prince》を読んでみようと思ったからでした。
この子たちは、なかなか英語もできるので、これくらなら読めるかもしれないと思ったのです。
けれども、本を買ってきて、単語帳なんかも作ってあげたけど、やっぱり、中学生には無理だったようで、結局ぼく一人で読むことになってしまったのです。
それにしても、だあれも『星の王子さま』のことを知っている子がいないのにはびっくりしました。
もっとも、ぼくだって読んだのは高校三年の時だったので、あんまりおどろくことではないのかもしれませんが、だけど女の子なら知ってるだろうと思ったのです。
それというのも、昔ぼくにこの本を読むようにさせたのは女の子で、その子は、自分の友だちの女の子はみんなこの話を知っている、と言ったからです。
それに、大学生になったぼくが、学生結婚をしたN君の新婚の部屋に行った時も、N君のたくさんのむずかしい本にまじって、奥さんが持って来たという『星の王子さま』が本棚にあったからです。
それでぼくは、女の人というのは中学生ぐらいでかならずこの本を読むものだと思い込んでしまっていたのです。
ところで、ぼくがこの本を読むことになったのは、ある日ぼくが女の子に何かの話をしていたとき
「それってなんだかバオバブみたいですね」
とその子がぼくに言ったからです。
ぼくは
「バオバブて、なんや?」
と聞きました。
するとその子はとてもおどろいたようでした。
なにしろ、そのころのぼくは大変な「読書家」で通っていて、その子が読むような本で読んでいない本はないくらいに思われていたのです。
その子はそれが「星の王子さま」に載っている木の名前であることや、それが小さい時はバラの木とほとんど見分けがつかないことなどを詳しく話してくれたのですが、
「バオバブって、ものすごくおそろしいんですよぉ」
と言う言い方が、ほんとうにおそろしそうだったので、ぼくはその日のうちに「うつのみや書店」に自転車を走らせ、その本を買って読んでみたのです。
なにしろ、そんなおそろしいものを知らずにいるのは「読書家」のコケンにかかわりますからね。
というより、今から思えばそのときのぼくは、その子のことをぼくのバラの花にしたいと思っていただけなのかもしれませんが。
読んでみたら、バオバブはちっともおそろしくはありませんでした。
それより、ずっとあとになってのことですが、バオバブという木がほんとうにあってマダガスカルにたくさん生えている写真を見た時の方がずっとおどろいたくらいでした。
だって、そんなヘンな名前の木なんて物語の中にだけ出てくる木だとぼくはずっと思っていたのですから。
それは、とても不思議な形をした大きな木でしたが、あの本の中の絵にはちっとも似てはいませんでした。
なにしろ、あの絵は、バオバブ、と言うより、どっちかというと、ブロッコリーみたいなんですもの。
さて、久しぶりに読んだ『星の王子さま』はたのしいけれどやっぱりせつないお話でした。
でも、ぼくは、今回は、そのせつなさについてではなく、この本の中に出てくる数字が大好きな大人の話とこないだ大石君から聞いた
数字の話をするとみんな自分が賢く見えると思っている
という話を結びつけて書くつもりで書き始めたのです。
けれども話がヘンな具合になってしまいました。
でもまあ、いいです。
引用の文も変えずにおきます。
(内藤濯さんの訳した本は手元にないので、英文からの拙訳です)
ところで、本を読み終えて本屋で掛けてもらったカバーを外すと、本に付けられた腰巻には
《心で見なくちゃよく見えない。
大切なことは目にはみえないんだよ》
と、みんながこの本を読んだしるしみたいに口にする立派なことが書かれていました。
けれどその横には大きな字で
TOEIC スコア
470点
レベル
と書いてあるのです。
ぼくはそのバカバカしさに笑ってしまいました。
まったく、みんなどれくらい数字が好きなんでしょう!
どうやらみんな、数字にしないとやっぱり何も見えないらしいのです。
追伸:明日金沢に帰ります。