泥ねぎ
Exultation is the going
Of an inland soul to sea,
(歓喜とは、出て行くこと
内陸の魂が大海へと)
― 『対訳 ディキンソン詩集』 (亀井俊介 編)―
今日も寒かったけれど、今日の私には固い決意がある。
「外に出る!」
というわけで、朝、新聞を読み終わってから、45℃の湯を湯船に張って、髪を洗いひげを剃り、上も下もヒートテックを二枚重ね着にして、襟巻きをしっかり首に巻いて、外に出た。
曇っているとは思っていたが、そして、寒いとは思っていたが、外に出てみたら、雪だった。
でもまあ、出かけると決めたんだから、出かける。
意志は堅い!
それに、雪といっても、こいつは、なんだか空のどこかで誰かが焚き火をしたとき舞い上がった灰が地上まで落ちてきたみたいな奴で、ちっとも水気がない。
地面も外套もちっとも濡れない。
でもまあ、大切だったのは、やっぱり、「出かける」ってことだったんだな。
歩いていると、それがよくわかる。
こんな寒空なのに、歩きながらなんとなく顔がホクホクする。
とはいえ、どこへ、ということもないから、とりあえず、街の本屋の方へ行き、目についた文庫本を4冊ばかり買ってドーナツ屋に入る。
その中の一冊 『一人の夜を短歌とあそぼう』というのを読んでたら、こんな短歌が載っている。
大根を選びに選ぶ奥さんよ選ばなかったかそこの亭主は 本下いづみ
笑ったけれど、うーん、大根を選ぶみたいには選ばないだろうよ、亭主というものは、と、ドーナツをかじりながら思う。
たぶん「選んだ」ものじゃないから「惚れた」と言うんだろう。
あるいは、「縁」と呼ぶんだろう。
よくはわからんが。
帰り、近くの農協でプラスチックのコンテナに無造作に立てかけてある泥ねぎを別に選びもせずに買った。
もちろんそれに「惚れた」わけではないが、「縁」はあったわけだ。
世の中、すべてかくのごとし。
泥ねぎを野武士の如くひっさげて部屋に帰れば愛ちゃんがいた
久々短歌も作ってみた。
我ながらぬるい歌だが、とりあえず太字にしておこう。