ひろっさは
何も興味を持たなかったきみが
ある日
ゴヤのファーストネームが知りたくて
隣の部屋まで駈けていた。
― 飯島耕一 「ゴヤのファーストネームは」―
昨日、勝田氏の文章を読み、 ヨヴァナ・ブラコチェビッチ嬢の美しい横顔をいましばらくは未練で眺め、私の目はもう一度、彼女の呼称であるところの
ヨッツア
という文字に戻りました。
なにゆえ、JT応援団は「ヨヴァナ」という美しいファーストネームを持つ彼女を応援するのに
行け行け!ヨッツア!!
などと叫ぶのでありましょうか。
行け行け!ヨヴァナ!!
でいいではありませんか。
まさか彼女が
私を ヨヴァナと 呼ばないで!
などと、言ったはずもありません。
なにしろ、彼女は司氏ではないのですから。
とすれば、「ヨッツア」とはセルビア語における「ヨヴァナ」の愛称なのでしょうか。
それならそれで結構なのですが、そのとき、私の頭に浮かんでいたのは、井伏鱒二氏の
『「槌ツァ」と「九郎治ツァン」は喧嘩して私は用語について煩悶すること』
という、めちゃくちゃ長い題名の小説のことでした。
残念ながら、今手元にその小説の入った本がないので (たしか、岩波文庫の『山椒魚・遥拝隊長』の中に収録されているはずです)、記憶だけが頼りで、あまり確かなことは言えないのですが、これは井伏鱒二の郷里における名前の呼び方に関する話なのです。
それによれば(と、言ってもこれも記憶が頼り)、彼の故郷ではその人の家柄や社会的地位によって、敬称(というか呼称というか)のつけ方が変わるというのです。
その序列は
「サン」⇒「ツァン」⇒「ヤン」⇒「ツァ」⇒「サ」
の順で低くなっていきます。
私の場合で言えば
「ひろしサン」⇒「ひろっツァン」⇒「ひろヤン」⇒「ひろっツァ」⇒「ひろっサ」
という具合に落ちぶれていくわけです。
(こんなどうでもいいことを今でも覚えているのは、高校時代、同じころこの小説を読んだ友人の芦原くんと二人で、何を考えていたのか、この順番を必死に唱えて覚えたからで、まあ、高校生というものは、おおむねヒマなものです)
さて、これでいくと、「ヨッツア」は「槌ツア」と同じく下から二番目の位置にあることになります。
うーん、これは東欧からやって来られた美女に対して失礼にあたるのではないのでしょうか?
行け行け!ヨッツア!! 行け行け!ヨッツア!!
などと図に乗って叫んでいると、196㎝の長身からの猛烈アタックが応援席を襲う、なんてことにはならないのでしょうか。
なにしろ「槌ツァ」は、「九郎治ツァン」から「槌ツァ」と呼ばれたことで大喧嘩をしてしまうのですから。
それはさておき、高校三年になったある日、学校の帰りに私のうちにやって来た司氏が、
「これで、わしの英語もバッチリや!」
と制服のポケットから自慢げに一冊の本を取り出したことがありました。
見れば、表紙には
『シャレで覚える英単語』
の文字。
「ほんなもん買うて、ダラんねーか!」
と私が言うと、
「ま、ま、そう言わんで、読んでみいま。いいぞぉ」
と言うので、ページを開くと、いきなり
スピード見た (speedmeter) 速度計
と書いてある。
「どいや。今の世の中に〈スピードメーター〉が〈スピードメーター〉やて、わからんような奴なんかおるかいや!」
「いやいや、その次からが素晴らしい。読んでみ」
と、司氏、なおも動ずる色もなく平然として言うので、次を読むと
けさも見た (thermometer) 温度計
と書かれている。
「な」
「な」と言われて顔をのぞきこまれても返答のしようもない。
あまりと言えばあまりな、粗製乱造、同工異曲。
私、そのバカバカしさに呆れてしまって、声も出なかった。
ところが、あまりのバカバカしさ、というのはおそろしいもので、遺憾なことに、私、あれ以来今でも温度計を見るたびに、ほとんど条件反射のように
今朝も見た 温度計!
という言葉が頭に思い浮かぶようになってしまったのである。
thermometer (温度計)
ボケても忘れぬ英単語、になりそうである。
ヨワッタことだ。
などというばかげたことを思い出したのはほかでもない。
実は、私も一つ「シャレで覚える英単語」を当時ひそかに作ったのだった。
「ひろっサ」は (philosopher) 哲学者
私は哲学者になりたかったらしい。