修業
好漢未だ不射之射(ふしゃのしゃ)を知らぬと見える。
― 中島敦 『名人伝』 ―
節分である。
そういえば、去年の節分は「アホウ巻き」のことを書いて勝田氏に嗤われたのであった。
あれから一年。
私の文章や、ものの考え方に、進歩はあったのであろうか。
そんなもの、むろん、ない。
聞くまでも、ない。
中島敦の「名人伝」の主人公紀昌は弓の名人になろうとして、まず弓を射る前に、瞬きしない訓練だけで二年を費やしたのであった。
そうやって、全く瞬きしなくなった彼の睫毛(まつげ)と睫毛の間には小さな蜘蛛が巣をかけたのであった。
その後、今度は糸に吊るした虱(しらみ)を見つめること、三年である。
その虱が馬ほどの大きさに見えたとき、やっと師の飛衞に弓の奥義秘伝を授けられたのである。
そのようにして、百歩隔てた柳葉を射れば、百発百中、右ひじに水をたたえた杯を載せて百本の矢を以って速射すれば、その水は微動だにせず、矢は次々に前の矢の括(やはず)に刺さり、百本の矢は一本の矢のごとく相連なったのである。
かかる域に達してさえ、その紀昌を迎えた西の霍山(かくざん)に住む甘蠅(かんよう)老師は穏やかな微笑を含みつつこう言うたのである。
一通りはできるやうぢやな。
いいですな。
ゾクゾクしますな。
(私も、もそっと年を取ったら、若い奴に、こんな言葉、言うてみたいです。)
そして、老師は言うんです。
それは所詮射之射といふもの、好漢未だ不射之射を知らぬと見える。
うーん、たまらんですな。
というわけで、私の如きいい加減な奴が、何事かを一年くらい続けたからと言って、それが、未だ「射之射」にも達していないこと、言を俟たない。
そもそも、私なんぞ、まばたき、ばかりして、生きている。
そんな奴は「ものを射る」ということの基本すら知らない。
ところで、昨日の泥棒の話ですが、「名人伝」には老師の下での修業から都に帰った紀昌について、こんなことが書かれています。
紀昌の家に忍び入ろうとした所、塀に足をかけた途端に、一陣の殺気が森閑とした家の中から奔りでてまともに額を打ったので、覚えず外に顛落(てんらく)したと白状した盗賊もある。
いやはや、名人、というのはスゴイものです。
セコムしてますか、どころの騒ぎじゃない。
そもそも
「やって来たのは、ガスコン兵。」
なんて、能天気につぶやいておること自体、修業が足りんのですな。