言葉
「予言とは思い出すことなのです」
― ブロッホ 『誘惑者』 (古井由吉 訳) ―
私たちは毎日たくさんの言葉を耳にする。
多くは聞き流され、記憶から消える。
「予言とは思い出すことなのです」
ブロッホ 『誘惑者』。
ずいぶん前に古本屋で100円で買ってきてほったらかしにしてあった世界文学全集の一冊。
今日何気なく読み始めたら、中にこんな言葉があった。
そうなのだ。
予言はそれが思い出されなければ予言ではない。
ところで、あなたは、日々語られ日々読まれ、けれどもその場ですぐに忘れ去られる無数の言葉の中で、誰かからあなたへの予言のように告げられた言葉を聞いたことがあるだろうか。
あるいは、まだ実現してはいなけれど、まるでそれがたしかな予言でもあったかのように折にふれ思い出す言葉が。
ひょっとして、それはあなた自身があなたに贈った言葉であったかもしれない。
まるで神からの啓示のように、どこかからあなたに届けられた言葉。
そして折々に思い出す言葉。
私には何一つ予言めいた言葉の記憶はない。
けれども、思い出す言葉と思い出す人はいる。
この通信だって、毎日誰かの言葉を思い出して書いている。
予言というものが思い出されなければ予言でないのなら、逆に、思い出す言葉とは、まだ実現していない何かの予言なのだろうか。
きっと、そうなのだ。
人に届き、人が思い出す言葉はいつだってその人への予言なのだ。
それが予言だとぼくらは気づいていないが、それがいつか確かな予言となることへの微かな予感がその言葉をぼくらの心に刻みつけるのだ。
そんなまだ実現しない予言たち。
あなたには、折にふれ今も思い出す言葉がありますか。