美しいものを美しいと思えること
先日会社で新聞を片づけていたら、とあるページで手がとまりました。
一面に大きく描かれたフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」。
もちろんこの絵は何度も(実物ではありませんが)見たことがあり、すぐにフェルメールの絵だとわかるくらいの知識はありましたが、こんなふうに釘付けになってしまったのはこれが初めてでした。
絵画をみて、きれいだなとか、かわいいなとか、なんとなくいいな、という感覚は今までもありましたが、「絵をいいと思う」という感覚がいままでぴんとこなかったのです。フェルメールがどんな画家なのか、この絵にどんな歴史的背景があるのかも全く知らないけれどそういうことは関係なくて、こんなふうにただ心が動かされる単純な感覚こそ、「あの絵、いいよね」ということなのかなぁという気がしました。
お休みの日にわざわざ六本木まで出かけて1枚の絵を見たいと思える大石君や絵画を愛する人たちがそんな単純な気持ちなのかはわからないけれど、例えばきれいな夕日をみて思わず歩みをとめたり、夜空に輝く星に魅せられて空を見上げ続けたり、お花屋さんで素敵なお花をみつけて歩み寄ってしまったり、そんな説明のしようのない、「だってきれいだと思わない?」としか言えないような感覚と似てるのかな、なんて。
そんなわけで「真珠の耳飾りの少女」は部屋に飾られ、あの瞳に、白い肌に、赤い口元に、時々吸い込まれるように動きが止まる私でありました。
追伸その1:大石君が紹介してくれたツイッターを見ようとクリックしたら、私がクラッシュする前にパソコンがクラッシュしました…。
追伸その2:サン・テグジュペリの話ステキ!ぞくぞくしちゃいました!
やまだまゆみ