アドヴァンテージ
英語が歌ふ数へ歌
テニスの年は老け易い
フィフティーンから
すぐサーティ
アドヴァンテージは四十過ぎ
― 堀口大学 「テニス」 ―
昨日の大石君じゃあないが、私も若い頃はいろんなスポーツ中継を観ていた。
テニスも観た。
けれど、たぶんは年のせいだろう、いまや野球と相撲以外ほとんど何も観なくなった。
したがって錦織圭の試合も観ていない。
観ていれば、きっとおもしろかったのだろうと思う。
ところで、私が観たテニスの試合で一番心に残っているのはなんと言ってもウインブルドンでの伊達公子とシュテフィ・グラフとの試合。
それは、どちらも譲らぬ熱戦で、観ている私は、なんだか、背に「千入りの靫(ゆき=矢入れ)」を背負って弓を構えて雲間からスサノオを迎え撃つアマテラスと、ギリシアの戦いの女神アテナとが一騎打ちをしているような神々しさを感じたものだった。
さて、引用の詩はもちろんテニスの点数の数え方を歌ったもので、たしかにテニスの点数はどういうわけだか
15 30 40
と数えていき、デュースになった後は
アドヴァンテージ 〇〇
と言う。
おおよそ年齢30を超えた読者諸氏はなーるほど
フィフティーンから
すぐサーティ
だったなあ、なんてしみじみなさるかもしれない。
でもまあ、
アドヴァンテージは四十過ぎ
ですからね、そんなに悲観なさらなくてもよろしいかもしれない。
私の感覚から言っても、四十過ぎたら、ずいぶんいろんなことが気楽に、そしておもしろくなりましたもの。
そういえば、クルム・伊達公子さんも四十を超えていますなあ。
それにしても今日も寒い。
今日の私の歩数計はゼロです。