人生を語る指標
ももしきや古き軒端のしのぶにもなほあまりあるむかしなりけり
順徳院
― 大岡信 『百人一首』 ―
「おまえら、日曜は二日酔いで寝てるから、来るんなら午後からだぜッ」
と、前の日ちゃんと言っておいたのに、わざわざ朝の八時きっかりにやって来るやつがいる。
むろん、そんなのは男子である。
「あれえ、寝てるー」
いたずら坊主二人がなんだかうれしそうにくすくす笑いながら部屋に入って来る。
そりゃあ、寝とるよ。
俊ちゃんと大石君が帰ったのは5時過ぎだったから、どう考えてもわしは三時間も寝ていない。
「なんだよ、おまえら、勝手に勉強してろ」
そう言ってまた布団をひっかぶる。
「はーい」
かちゃかちゃ音がするのはどうやら机の上に散乱していた皿やらコップやらを台所に片付けているらしい。
男子にしてはなかなか殊勝である。
「おー、ついでにガリガリもやっといてくれ」
と布団の中から言うと、
「了解!」
と言ってコーヒーを挽いてくれている。
けれど、その音を耳にしながら再び私は眠ってしまった。
私が再び目を覚ましたのは、十時過ぎ、もう一人の男子がやって来た時である。
そいつは大きな声で
「おはようございまーす」
と言って入って来る。
もう、起きざるを得ない。
起きてみたら、部屋は寒々としているのにストーブもついていない。
「寒くないのか」
と聞いたら
「寒くないです!」
断固たるものである。
しかし、外は昨日からの冷たい雨である。
なのに「寒くないです」とはどういうことだ!
兼好さんが、《友にするにわろき者》の一番目か二番目に《若き人》を上げておったわけがよーく解るな。
若い人というものは寒い日も寒くないものなのだ。
寒い日も寒くない、というのはなかなか元気でよろしいが、そういう人はたしかにあんまり友には向かない。
同病相憐れむ、とまではいかなくても、せっかく人がいる部屋に起きたのに、その部屋が寒々として火の気がないではさみしい。
若い人はその「さみしさ」への想像力がない。
まあ、思えば私も若い頃は年寄りのことなんてバカにしてたんだからしょうがないんだが。
そこへいくと、俊ちゃんなどはだいぶ話せるようになった。
若いと思っていた彼もついに今年は「ももひきデビュー」らしい。
それでこそ、ともに人生を語れるというものである。
言っておく、ももひきこそが人生を語れるか否かの指標である!
それにしても寒い。
今日も寒い。
冬なんだから、寒中なんだから、寒いのはあたりまえだけど、やっぱり寒いものは寒い。
夜は関東にも積雪もあるだろうとの脅しをラジオは伝えている。
引用の歌はもちろん百人一首の百番、最後の歌。
子どもの頃はずっとこの「ももしき」を「ももひき」のことだと思っておりましたが、本当は「ももしき」は「百敷城」で多くの石で築いた城、つまりは宮中を指す言葉なんですな。
そんな大宮も荒れ果てて今や屋根にはしのぶ草が生えている。
その忍草に遠く栄えた昔をしのんでもしのびきれないあの時のあの栄華よ・・・というようなことでしょうか。
自らの「ももひき」姿に、どんな寒かろうともそんなものをはかずに過ごせた若い日々を思い出し歎いている歌ではありません。