凱風舎
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年末

 

 

 朝方からどんよりと曇って風もなく、雨の振り出す様子も見えず、午さがりになっても同じ薄暗さのまま、ただしんしんと冷え込んで夕暮れに向かう年末の日がある。

 

   ― 古井由吉 『蜩の声』 ―

 

 今年で言えば今日がちょうどそんな日だった。
 朝、カーテンを開けても明るくならない部屋でコーヒーを淹れ椅子に座って新聞を読んでいると、私が膝かけに使っている毛布とホットカーペットの間にヤギがもぐりこんでくる。
 彼女も寒いらしい。

 儒教で親の死に対して「三年の喪」を言うのは、中国の古代文明が華北平原に生じたからだ、という説を読んだのはどんな本でだったか。
 インドではすぐに遺体は腐敗するゆえ火葬もしくは川に流して葬るのに対し、東北アジアの乾き凍てつく冬、遺体は容易にその姿を変えないからだと。
 それが本当の話かどうかは知らないが、金正日の遺骸の写真を見ながらそんなことを思い出した。
 平壌の12月は寒かろうと思う。

 思えば、ソ連にしろ中国にしろその指導者の遺骸をそのまま冷凍して保存して置くということがおこなわれたのは、単にそれが社会主義の国であったからというより、むしろそれらの国がユーラシアの北部に位置する国であったがゆえではなかったのかと思ったりする。
 日を経ても月を経ても姿を変えぬ冬の凍土の上に置かれた死体を幾世代も目にし続けてきた人々にとって、遺体の冷凍保存は、或る意味ごく自然な発想だったのかもしれない。
 それはけれど、死んだ者にとっては迷惑この上もない処置だろう。
 むしろ、ネパールやチベットのように鳥葬にされる方がどれほどさわやかだろう。
 夢とはあとかたもなく消え去るから夢というのだ。
 

 明日、中学校は終業式だとか。
 もう、今年も終りらしい。
 全然気づかずにいたが。

《朝方からどんよりと曇って風もなく、雨の振り出す様子も見えず、午さがりになっても同じ薄暗さのまま、ただしんしんと冷え込んで夕暮れに向かう年末の日がある。》

 今日がそんな日だった。