凱風舎
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初歩

 

 

 チェルノブイリの事故現場、立ち入り禁止区域の森に数年後、調査に入った科学者の一人は、森に一匹も蜂のいないことに気づく。
 私は、その話を読んで、放射能が生物のDNAを破壊するという意味がわかった気がした。放射能の前で、DNAを持つものは、ひとしなみになる。人間と動物と昆虫が同じなだけではない。それと、植物、苔、プランクトン、すべてが「仲間」であることを教えられる。ひとしなみに同種の打撃を被ることを通じて、「原子」がすべての有機物の基体であることを「思いださ」せられるのである。
 (中略)
 原子と人間。それは私のなかに、自分が「生き物」であるという感覚を呼び起こし、「人類」の一員であるということを納得させる。考えてみれば「人類」とは「生き物」への眼差し、自分が「生き物」の一員であるという、回心なしに、生まれえないものなのかもしれない。

 

    ― 加藤展洋 『3.11 死に神につきとばされる』 (「祈念と国策」)―

 

 この十月から昼の12時からの放送大学のテレビを眺めている。

 火曜日 『初歩からの物理学』。
 水曜日 『初歩からの化学』。
 木曜日 『初歩からの生物学』。

 欠かさない。

 何度も書いたように、高校時代、受験に取った生物以外、科学系の勉強をまったくしないで過ごした。
 物理・化学に至っては定期試験の勉強すら一度もしなかったのだからひどいものだ。
 そして、これが私を相当偏った人間にしたことはまちがいない。
 すくなくとも、客観的根拠を示すことなく自分の言説に酔ってしまう、という、私のいわばナルシスティックな傾向を強めてしまったことは否めないように思う。
 だいたい、恥ずかしげもなく
 「〈感性〉の鈍い奴にはわからんのだ」
なんて息巻いているというのは、要するに実証という地道な努力はできるだけはしょってしまおう、というヤクザな精神のあらわれで、まあ、《夜郎自大》の最たるものですからなあ。

 ・・・などという深甚なる自己反省から見始めたのではなく、もちろん、たまたま見たらおもしろかったので見続けてきただけである。
 それでも、エライものだ、もう11回みたことになる。
 もっとも、ノートも取らずただただおもしろがって眺めているだけなので、その理解たるや、ほとんど寒月君の「首吊りの力学」を拝聴いている苦沙弥先生みたいなもんなんだが、それでもなにしろ、科学の三分野網羅ですからね、すこしはカシコクなった!(ろう、と思う)。
 とりあえず、原発関係の本をこの頃は読んであるところでございますが(といっても、人文系というか文学系のが多いんですが)、いずれにしても、科学的に語る話法、というようなものがすこしくらい身につけば、と思っておる次第です。
 
 追記:
えー、実は同じく金曜日には『初歩からの数学』というのもやっているのですが、「三角関数の微分」というところに至って、
 「いったいどこが〈初歩〉なんよ!」
とテレビに向かって苦笑いしてしまいました。
 言うまでもなくそれは、私の能力の上をはるかに超えてしまっておりました。