凱風舎
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水仙

 

 

ここからみると
おまえはひとくきのはなのようだ
そだつことにひとかけらのうたがいもなく
ときどきはこっそりと せのびさえしたくせに
いまさら
ふくらみはじめたわれとわがはなびらに
とまどってじれている
あまのじゃくなひとくきのはなのようだ
いつしかうしろをふりむくことをしって
もういちど すべてのはじまるあのひとつぶのたねに
もどってみたくていらだっている
おまえはここからみると
あめのなかでゆれている
とほうにくれたういういしい
ひとくきのはなのようだ
さくことのふくらみのうつくしさが
まるでざんこくなばつのようにさえみえるほど
まあたらしいひとくきの
はなのようだ

 

  ― 征矢泰子 「娘に」 ―

 

 

 葉の降り積もった崖沿いの地面から、そこに一株、あちらに一株と水仙が葉を伸ばしている。
 一面が朽葉色の景色の中でおのずと目を引くその濃い緑の葉は、葉といっても、まだつぼみをつけぬ茎と区別もつかぬ細さでまっすぐ上に伸びている。

 少女にはまだつぼみさえつけぬそんな水仙のように見える時期がある。
 ただほっそりと、上にだけ伸びて、まだ自分がいつか母親になることも知らぬ気に立っている。

 2011年版の「地理統計」(帝国書院)によれば、日露戦争前の1900年(明治23年)の国勢調査で、日本の人口は4385万人だったそうだ。
 1947年(昭和22年)、太平洋戦争が終わった直後の人口は7810万人。
 当時世界で5番目に人口の多い国だった。
 1955年、私なんかがすでに生まれている昭和30年には9008万人。
 そして2005年には1億2778万人。
 この時点で日本の人口は世界で10番目だ。
 2010年 1億2718万人。
 ご存知のように、明治以降一貫して増え続けてきた日本の人口は減り始めたのだ。
 そしてこの資料には将来推計人口も載っているのだが、それによれば
 2055年  8993万人 とある。
 わたしたちの生まれた時代にまで日本の人口は減るらしい。
 この間、はじめの20年間は毎年50万ずつ、あとの20年は年に100万人ずつ人口は減る。
 50万といえば金沢の人口、100万ならば政令指定都市だ。
 それだけの人口が毎年減る。
 出生率の低下で、40年後、今の10代の女の人の中で、孫を抱ける人は二人に一人もいないことになるらしい。
 そんな時代がやって来るらしい。(もちろんわたしはもういないが)
 それがどんな時代なのかわたしは知らない。

 自分だけを愛したナルキッソスの死体のあった場所から水仙は生えてきたという。
 そのナルキッソスは男だった。
 今は水仙のように見える少女たちのからだもやがてやさしい丸みを帯びてくる。
 その丸みややわらかさは新しい命を愛しはぐくむためのものだ。
 けれどもその半数は孫を手に抱くことはできないらしい。