凱風舎
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勉強なさい!

 

子供たち  :   「勉強なさい!」
           「勉強なさい!!」
           大人は子どもに命令するよ
           「勉強なさい!!!」

博士     :  「エラクなるために」
           「お金持ちになるために」

子供たち   :  あー、あー、あー、あー、
           そんなの聞きあきた

サンデ―先生:  いいえ、よい大人になるためよ
           男らしい男
           女らしい女
           人間らしい人間
           そうよ、人間になるためーに
           さあ、勉強なさい

 

    ― 井上ひさし・山元護久 『ひょっこりひょうたん島』 ―

 

 「ひょっこりひょうたん島」はほとんど欠かさず見ていた。
 小学校6年から高校一年までずっと見ていた。
 思えば「ひょうたん島」というのは歌ってばかりいる番組だった。
 おんなじ歌を何度も何度も何度も歌っていた。
 だから、今でも覚えている歌がいくつもある。

  今日がダメなら、あしたにしましよ
  明日がダメなら、あさってにしましょ
  明後日がダメなら、しあさってにしましょ
  どこまで行っても明日がある
  ア、ホレッ
  ドンドンガ―バチョ、ドンガバチョ

なんて歌もあった。
 無責任と言えば無責任、能天気と言えば能天気なこんな歌。
 けれども、こんな底抜けの楽観主義が「ひょうたん島」の取り柄だったし、それがこの番組だけではなく、時代が持っていた明るさの徴だった。
 毎日の夕方、こどもの家庭はどこでも

  丸い地球の水平線に
  何かがきっと待っている

  苦しいこともあるだろさ
  悲しいこともあるだろさ
  だけど ぼくらはくじけない
  泣くのはイヤだ 笑っちゃお 
 

という歌が流れていた時代なのだ。

 そんな「ひょうたん島」の中には冒頭の引用のような歌もあった。 
 今から40年前はこのような歌を子どもたちは聞いていたのだ。
 勉強は何のためにやるのと問う子どもたちに、それは「よい大人」になるためのものだ、と歌うサンデ―先生がいた時代だった。 
 今、だれがこんなことを言うだろう。
 それが理想主義だと言われようと、けれどもやっぱりサンデ―先生は正しいのだとわたしは思う。
 
 いくら「就職氷河期」とやらで、資格やら何やら、勉強するは自分のためなんだ、などとだれもかれもが言うような時代より、

 君が勉強するのは、けっして君自身のためなんかじゃないのだよ。
 君が勉強するのは、君自身を、君のまだ知らない誰か、まだ出会わない誰かへのすてきな贈り物にするためなのだよ。

と、そんなふうに子どもに言える大人がちゃんといる社会の方がずっとずっといいのにと思う。