背筋
いと寒きに、火などいそぎおこして、炭持てわたるも、いとつきづきし。
(たいへん寒い折に、火など急いでおこして、炭火を持って廊下などを通るのも、たいへん季節に似つかわしい。)
― 『枕草子』 (松尾聰・永井和子 校注・訳) ―
衣服も暖房器具も今に比べればほとんどないに等しい時代に、
冬はつとめて。
(冬は早朝がいい。)
と言いきった清少納言は若かったにちがいない。
冬が寒いことを愉しんでいる。
寒い朝、おこした火を運んでいるのは同僚の女房だろうか、それとも作者自身だろうか。
このとき彼女の背筋はきっと伸びていたはずだ。
背筋を伸ばすことはとても大切なことだ。
寒いからといって背をまるめていてはいけない。
そうしていればますます寒くなるだけだ。
寒さは人の意思を際立たせる。
為すべきこともなく、ひたすら受け身であるとき人は背をまるめる。
為すべきことを持ち、何かをしようとする意思が背筋を立たせるのだ。
人は自分の心(情念)を自由に扱えないものなのだ、と言ったのはアランだった。
だからこそ、心ではなく自分が自由に扱える筋肉を動かしなさい、と言った。
その通りだ。
今日のような寒い日、道を歩く時、意識的に背筋を伸ばしてみるだけで、何もかもが変わる。
それだけで寒さが変わる。
むろん温度が変わるわけではない。
その姿勢がわたしたちと外界との接し方が変えるのだ。
冬はつとめて。
そう言いながら御所の廊下を歩いた清少納言のように今年の冬は過ごしてみようと思う。
もちろん、背筋を伸ばしながら。