凱風舎
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姉弟愛

 

 

 

 小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間程腰を抜かしたことがある。なぜ、そんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出して居たら、同級生の一人が冗談に、いくら威張つても、そこからは飛び降りることは出来まい、弱虫やーい、と囃したからである。小使に負ぶさつて帰って来た時、おやぢが大きな眼をして二階位から飛び降りて腰を抜かす奴があるかと云つたから、此次は抜かさずに飛んで見せますと答へた。

 

   ― 夏目漱石 『坊つちやん』 ―

 

 昨日の夕方塾にやって来た二年生のユウキ君の髪の間から白い布がのぞいている。。
 「どした」
と聞くと
 「五針縫った」
と言う。
 「なんだ、誰かに石ででもなぐられたか」
 「ううん。教室のドアのところでジャンプしたら頭ぶつけた」
 「なんじゃ、それ。アホな奴ゃなあ」
 「自分でもそう思う」
 「なんでそんなとこで跳んだんだ」
 「わかんない。なんとなく」
 「なんとなくで、そんなとこで跳ぶかぁ」
 「だって跳んだんだもん」
 「まあ、たしかにそうだが、痛かったろう」
 「ううん、そんなに痛くなかったよ」

 男子は中学二年にもなると思慮だけでなく痛覚までなくなるらしい。

 「けど、血がいっぱい出た。右目の上に血が垂れてきてそこらが赤く見えた。それで先生に言ったら医者に行けって言われた」
 「そりゃあ、言われる」
 「で、五針縫った」 

 まあ、試験の合間の休み時間に何がうれしくてそんなとこで跳ねたりしてるんだか。
 中学生というのはわけのわからんものだ。
 無思慮、無鉄砲なのは、なにもあの「坊つちやん」に限ったことではない。
 おおむね十代の男子というものはそういうものだ。
 そうやって頭に大きな絆創膏を貼りつけながら、それでも知らん顔して英語の比較級の復習なんかしている。
 そんなふうにずいぶんまじめに勉強していた彼が、だいぶたってから
 「うーっ!」
と、うなるから、鎮痛剤が切れでもして痛みがぶり返したのかと思ったら
 「ああ、腹へって死にそう!」
と言う。
 まったく男子中学生というのは不死身である。
 彼らに空腹以外の敵はないらしい。
 そう言えば、頭を五針縫った後も病院から帰って来てしっかり給食は食べたそうである。

 ところで、ユウキ君が家に帰ってひと眠りして目を覚ましたら家の中に
  頭上注意!
の張り紙がそこらじゅうに貼りつけてあったので、
 「なに、これ」
と呆れて笑っていたら、
 「あんたみたいなバカのために書いてあげたのよ!」
と高校生のお姉さんが厳しい顔で言ったそうである。
 実によい家族である。