凱風舎
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鶺鴒

 

  小鳥に声をかけてみた
  小鳥は不思議そうに首をかしげた。

  わからないから
  わからないと
  素直にかしげた
  あれは
  自然な、首のひねり
  てらわない美しい疑問符のかたち。

 

    ― 吉野弘 「素直な疑問符」 ―
  

 

 本を買いにひさしぶりに街に出たついでに、トンカツ屋に入った。
 さすがに若いころほど大喰らいではなくなったが、それでもそのトンカツ屋はご飯もキャベツも味噌汁もお代わり自由というので、いつもついつい勧められるままにどれもお代わりをもらってしまうのは、身に沁みついた貧乏性のせいかもしれない。
 以前はビルの中の飲食店には珍しくたばこを吸える席もあったのだが、ご時世と言おうか、今はそれもなくなってしまったので、食後は同じ階にある喫煙所に行く。
 そこはビルの三階のテニスコートほどのテラスで、そこに低木や花を植えたプランターを並べてテーブルと椅子がいくつか置いてある。
 喫煙所ではない方のベンチにインド人らしい男が向うの言葉で携帯電話で何か話しているだけで、ほかに人影はない。
 わたしが椅子に腰を下ろしてしばらくすると、ピピと鳴き声がして一羽の鳥がほんの数メートルのところに降り立った。
 見れば白と黒のきれいなセキレイだった。
 コンクリートのタイルの上に降り立ったその鳥は尾っぽを振りながら椅子やテーブルの間をちょこちょこと歩きまわっている。
 のどのところにくっきりと大きな黒い胸当てを付けているからあれはハクセキレイだろう。
 昔はセキレイなどという鳥は川原にしかいないものだと思っていたが、この頃はわたしの家の近くの路でもよく見かける。
 それでもこんな街中のビルの上に飛んで来ているなどとは思いもしなかったので、すこしびっくりした。
 もっとも鳥の方はわたしの思惑なんぞ一向気にかけるでもなく、時折澄ました顔で立ち止まってみせては、またちょこちょことあたりを歩きまわっている。
 それでも3メートルと近づいては来ないが、座っているすぐ近くに鳥が来るのはなんだかうれしいものだ。
 あって当然だと思っていた警戒心を解除したふうに見えるものはこちらの心も解きほぐすのだと思う。
 実はそんな小鳥と同じものをわたしは毎日子供たちからもらっているのだが・・・。

 ドアが開いて声高にしゃべる女が三人テラスに出てきたとき、ピーッ、ピーッと二声鳴いてセキレイは飛び立って行ってしまった。