秋芽吹く草
秋のひかりにみどりぐむ
ときなし草は摘みもたまふな
やさしく日南にのびてゆくみどり
そのゆめもつめたく
ひかりは水のほとりにしづみたり
ともよ ひそかにみどりぐむ
ときなし草はあはれ深ければ
そのしろき指もてふれたまふな
― 室生犀星 「時無草」 ―
小学生だった頃、MRO(北陸放送)のラジオで、毎朝この詩に曲を付けた合唱曲が流れていた。
何かの番組の始まりの曲だったような気がするが、よく覚えていない。
その後一度も耳にしていないが、子供の耳にも残る美しいメロディだったからか、今もその初めの部分は歌える。
というか、現に今日、道を歩きながら不意に口をついて歌ってしまった。
今日もまたよいお天気で、11月にしては陽射しが暖かかったからだ。
すっかり枯れた落ち葉の散り敷く草はらの日向にしゃがみ込めば、11月とはいえ、黄色い小さな花に小さな蝶や羽虫が飛び、蟻さえまだ地面を這っている。
そしてその地面のそこここに放射状に濃い緑のロゼットをつくる葉っぱたち。
犀星が目にし、そして歌った「時無草」とはどのような草かわたしは知らない。
そんな名は植物図鑑にも載ってはいない。
それは「季節も時期も特定しないで芽吹き咲く雑草」というほどの意味だろう。
そして、友にやさしく見守ってほしいと彼が歌う、冬に向かう秋にさえ時を選ばず芽吹いた名もなき草のその緑とは実は彼自身のことを指しているに違いない。
それは、彼の故郷金沢の犀川の土手に秋芽吹く草に自分自身を重ね合わせて歌ったものだが、そこには彼の名もなきけなげな者へのいつくしみの思いがやさしく流れている。
今またこの詩をあのやさしいメロディに載せてもう一度聞けたらなあと思う。
追記
「日南」は「ひなた」と読みます。
ちなみに歌の方では
「たまふな」は、実に正しく「たもおな」と歌っておりました。