凱風舎
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保険証

 

 

   御子(おこ)はおはすや

 

   ― 吉田兼好 『徒然草』 (第百四十二段) ―

 

 

 昼過ぎ電話があって樋口君がやって来た。
 樋口〈くん〉と言っても
 「もう四十二ですよぉ」
のおじさんである。
 彼は塾のもっとも古い生徒の一人で、今は彼の中学一年の息子がわたしの塾に来ている。
 それを聞いて
 「なんだよ、樋口のやつ、自分はまったく勉強なんかしなったくせに、息子には勉強させるんかよ」
とは、彼と同じ学年だった中代君の言い草だが、たしかに彼はまったく勉強なんてしない生徒だった。
 もっとも、そう言う中代君だって、彼に比べればまし、といった程度のものだったし、そもそもわたしの塾で「勉強をした!」なんて言える奴はいないんだが。

 さて、その樋口君、まったく顔は昔のままである。
 いたずらっ子だったその顔にしわなんか付けて、タバコなんかふかして、それでお父さんになっている。
 そして、子供を三人持った苦労、なんて話をしている。
 わたしはニヤニヤ笑って聞いている。
 でも、

 「はじめは自分の名前だけだった保険証に、結婚して子供ができると、ひとりまた一人と名前が増えていくじゃないですか。そんな新しい保険証見ると、ああ、『俺って、責任重いんだなあ』なんて、あらためて思ったりしてね」 

 なんて話を聞くと
  なるほど、そういうものなのか!
と、いたく感心する。
 さもありなん、と思ってしまう。
 そして
  よかったなあ、樋口ィ
と思ってしまう。
 まちがいなく彼は子供を持ってしあわせなのだ。

 しあわせというのが何か、というのはうまく定義できない。
 けれど、たぶん不幸な人というのは簡単に定義できるだろう。
 不幸とは、心の中が自分のことで一杯になっている状態のことだ。
 自分以外のことが考えられなくなっているとき、人は不幸なのだ。
 どんな状況であれ、自分以外の人や物事を考えられる人は不幸から離れられるのだ。
 たぶん、仕事、とはそういうものだし、仕事は忙しければ忙しいほど人の関心を自分から引き離してくれるものだ。
 そして、人が親になることもまた否応なくそういう場所に自分を立たせてくれるものなのだろう。
 子を持ち子を育てることは「苦労なこと」かもしれないが、それはけっして不幸ではないだろう。
 それは人をしあわせにするものなのだ。
 樋口君の話を聞きながらそんなことを思っていた。

 などと、子を持ったこともないわたしが言えば、勝田氏や司氏、邑井氏あたりから、
 「あんた、やっぱり、なーんもわかっとらんなぁ」
と言われてしまいそうだが・・・。