凱風舎
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    蟹を食うひともあるのだ

 

     ― 会田綱雄 「伝説」 ―

 

 先日の新聞によれば、
  《日本一幸せなのは福井県民》
なのだそうだ。
 法政大学の大学院の研究だそうだが、以下、二位に富山県、三位に石川県と続くらしい。
 なんでも経済力や産業力とかの指標ではない指標(出生率やら失業率やら持ち家率なんか)を40ばかり立てて点数化したものの合計らしい。
 まあ、話半分、としても、北陸出身のわたしとしては、なんとなく顔がゆるんだりするから不思議だ。
 石川が三位というのも、なかなか「らしく」て、なかなかよろしい。
 故郷に住む人たちが幸せだと言われて文句はない。
 まあ、そんな指標を使わなくったって、冬になれば暖かな部屋で、脚の一本とれたズワイガニや、あるいは小型のコウバコガ二を家族で食べている人がしあわせでないはずはない。

 二十歳を過ぎたころ、静岡で一年あまり暮らしたことがある。
 冬になっても晴れた空があるところにはじめて暮らしたわたしは
  そうなのか!
  こういう土地の人たちは昔からずっと、冬も稼ぐことを暮らしだ、と思ってきたのだなあ
と、いたく感慨深く思ったものだった。
 こういう土地で生まれた人は忙しかろうなあ、と思ったのだ。
 裏日本と表日本では人が違うのだ、と身に沁みて思ったのだ。
 もちろん日本海側の人たちだって、冬、働かないわけではない。
 けれども、冬は冬だ。  

 昔、バブル華やかなりしころだったか
  24時間闘えますか!
などというコピーの栄養ドリンクのコマーシャルがあった。
 これは、当時の忙しがってる日本人をおちょくったものだとわたしは思っていたのだが、世間では誰もそう思わなかったらしい。
 そうだ、その通りだ!
と、真に受けて24時間闘うつもりのバカはいっぱいいたのだ。
 そうやって、みんなそんな栄養ドリンクを飲んで(いたかどうかは知らないが)忙しがっていた。
 そんな人は今だっている。
 その人たちは365日闘わねばと思っているらしい。
 でなければ「世界で戦えない」と思っているらしい。
 そうやって盆も正月も店を開くようになった。
 それぞれに意味のある日だったはずの祝日を月曜日に移して連休とし、これで観光ビジネスや商業が活性化するのだと息巻いていた。
 どこかの球団が優勝すれば必ずその「経済効果は〇〇億円!」などとしたり顔に話すことがかしこいことだと思っていた。
 そうやっているうちに、一年365日すべてがどれもありきたりの普通の日になりさがってしまった。
 これがいいことなのかわるいことなのか、すべてをビジネスを基準にすれば、いいことなのだろう。

 ビジネスとは金儲けのことだ。
 けれど本当は、〈bisiness 〉とは、直訳するなら「忙しいこと」ということだ。

 空が晴れて地面に雪がなければ、冬も畑に裏作も作ろうとするだろう。
 business (忙しさ)というのはそうやって始まるのだ。
 正月だって儲かるなら店を開くことになるだろう。

 北陸三県が期せずして「しあわせ指数」の高い県になったのはけっして偶然ではないのだとわたしは思う。
 雪に埋もれ外仕事を何もできない冬を持つことの中で培われた何かがその県民性にあるからなのだと思う。
 idleness (怠けること)とまでは言わないけれど、business から否応なく離れなければならない期間を持たざるを得ない(けれども東北ほどには過酷ではない)風土がこれらの県の県民をほかの県の県民より「しあわせ」に近づけているのではないのだろうか。
 そして、同じ北陸でも新潟がそこから外れているのはひょっとしたら上越新幹線で東京のbusiness 時間に組み込まれたからではなかったのだろうか。

 さて、引用の詩は勝田氏の蟹の写真を見ていて思い出したものだが、この詩は本当は全文を読んでその静かな衝撃を受け止めるべき詩だ。
 長いけれども載せてみます。
 読んでみてください。

 

    伝説   会田綱雄

 

  湖から
  蟹が這いあがってくると
  わたくしたちはそれを縄にくくりつけ
  山をこえて
  市場の
  石ころだらけの道に立つ
  蟹を食うひともあるのだ

 

  縄につるされ
  毛の生えた十本の脚で
  空を掻きむしりながら
  蟹は銭となり
  わたくしたちはひとにぎりの米と塩を買い
  山をこえて
  湖のほとりにかえる

 

  ここは
  草も枯れ
  風はつめたく
  わたくしたちの小屋は灯をともさぬ

 

  くらやみのなかでわたくしたちは
  わたくしたちのちちははの思い出を
  くりかえし
  くりかえし
  わたくしたちのこどもにつたえる
  わたくしたちのちちははも
  わたくしたちのように
  この湖の蟹をとらえ
  あの山をこえ
  ひとにぎりの米と塩をもちかえり
  わたくしたちのために
  熱いお粥をたいてくれたのだつた

 

  わたくしたちはやがてまた
  わたくしたちのちちははのように
  痩せほそつたちいさなからだを
  かるく
  かるく
  湖にすてにゆくだろう
  そしてわたくしたちのぬけがらを
  蟹はあとかたもなく食いつくすだろう
  むかし
  わたくしたちのちちははのぬけがらを
  あとかたもなく食いつくしたように

 

  それはわたくしたちのねがいである

 

  こどもたちが寝いると
  わたくしたちは小屋をぬけだし
  湖に舟をうかべる
  湖の上はうすらあかるく
  わたくしたちはふるえながら
  やさしく
  くるしく
  むつびあう