聴き上手
「あれが慈海さんけえ?何(ど)うしてもさうは思へねえだ。丸で変わつちやつたな。何処かの別の人としか思へねえな。あの可愛い小僧さんとは何うしても思へねえ。」
― 田山花袋 「ある僧の奇蹟」 ―
金沢長町の《喫茶・狼騎》のカウンターに腰を下ろしてコーヒーを注文すると、マスターである狼騎氏がひょいと北国新聞の切り抜きをわたしの前に置いた。
「なんや、これ?」
「まあ、読んでみ」
記事の左上にはおじさんの写真が写っている。
見出しには
《「聴き上手」の姿勢貫く
第23代消防庁 消防総監 北村吉男 》
「だれや」
「だれやて、あんた。
あんたが先輩面していつも水泳部でいじめとった奴やないか」
見ればたしかに略歴のところには《二水高校卒》と書いてあるが、こんなおじさん、わたしは知らない。
それにわたしが後輩をいじめたなんて、そんなこと、記憶にはない。
あろうはずもない!(すくなくともわたしの記憶には)
「えー?北村?知らんなあ。だれや?」
「どいや。オ―ガイやないか」
「オ―ガイって、あのオ―ガイか」
「あのオ―ガイや」
狼騎氏がコーヒーをわたしの前に置く。
「オ―ガイ」というのは国語の教科書に載っていた『舞姫』の後に付いていた森鴎外の若い頃の顔に彼が似ているというのでわたしが付けたあだ名だ。
あだ名を付けるくらいはイジメにはならんだろうが、本人はあまり喜んでいないことは確かだった。
けれども、《森鴎外》なら名誉ではないか。
すくなくとも狼騎氏なぞは自分の級友に
グエン
などというあだ名を付けてたくらいだからわたしを批難する権利はない。
当時、南ベトナムに《グエン・カオ・キ》という将軍がいたのだが、狼騎氏がその友人にそのあだ名を付けたのは友人がその将軍に似ていたからではなく、ただ単にその友人の顔が大きかったからなのである。
グエン・顔・大きい
こういうのをイジメというのだが、顔が大きいことについてはあまり深入りするとわたしにもある《とんでもなくイケナイ過去》があばかれるおそれがあるので、これ以上は言わない。
さて、わたし、もう一度切り抜きの写真を眺めてみる。
そう思って見れば、切れ長だった目元あたりにかすかに面影なしとはしないが、まあどう見てもそこらにいるおっさんである。
「それにしても、《総監》ちうのはなんかすごい肩書きやな。
えらいエラそうやないか」
「エラそうやし、実際エライんやろ」
とは狼騎氏。
「ほうやろなあ。なんせ《総監》やからなあ。
それにしても、あいつが《聴き上手》とは知らなんだなあ」
「わしも知らんかった」
知らないはずである。
あだ名のこともそうであるが、当時のオ―ガイ君は人の話を聴くどころか、自分の権利の侵害についてきわめて敏感で、ほんの少しのことでやたらプリプリ怒る男であったのだ。
今は知らないが、当時の二水高校水泳部というのはたいそういい加減な部活であった。
夏はまあ泳ぐにしても、その他の季節は何もせず、たとえば春や秋の好天の日だけは
陸上トレーニング
と称して、バットとボールを持ってどこかの空いているグランドまで出かけてソフトボールをするのがその主な活動であった。
よって、雨の日や、まして土が雪におおわれる冬は部活動も「冬眠」に入る。
さて、そんな長い冬も終わり、わたしが3年生になった春、われわれはひさしぶりの「陸上トレーニング」をやるべく2・3年生打ち揃って二キロばかり離れたグランドまで田んぼの畦道を駈けて行った。
とはいえ、
時は春、
である。
日は朝(あした)、
朝(あした)は七時
ならねど、
片岡に露みちて、
揚雲雀(あげひばり)なのりいで、
蝸牛(かたつむり)枝に這(は)い、
神、そらに知ろしめす。
春である。
すべて世は事もなし。 (ロバート・ブラウニング「春の朝」 上田敏訳)
の春である。
皆なんとなくのんびりニコニコと空き地にたどり着いた。
さて試合は当然のように二・三年対抗戦ということになった。
双方五・六人のメンバーである。
で、三年のピッチャーはわたし。
バッターボックスには鴎外君。
でもね、この鴎外君、前にボールが飛ばない。
いや、ボールにバットに当たらないわけではない。
当たるんだが、前に飛ばない。
要するにファールです。
ファール、はいいんですが、なにせお互い人が少ないので、たいがいピッチャーであるわたしがそのボールを取りに行くことになる。
で、投げる。
打つ。
ファール。
取りに行く。
投げる。
打つ。
ファール。
わたし、ボールを取りに行きながら言いました。
「あのな、鴎外、お前、ちゃんと前に打たんかいや!」
「ちゃんと打ってますよ」
投げる。
打つ。
ファール。
「鴎外、いい加減にせいよ」
段々雰囲気が剣呑になって来る。
投げる。
打つ。
ファール。
「鴎外、おまえ、もう一球ファール打ったら、三振アウトじゃ!」
「ほんなダラな!」
「ダラなて、おまえがワルイんや!」
わたし、投げる。
鴎外、打つ。
やっぱり、ファール。
「アウト―ッ!三振じゃあ!!」
鴎外君、怒ってました。
プンプンに顔をふくらましていました。
これはイジメでしょうか。
イジメですかねえ。
まあ理不尽と言えば理不尽ですが、鴎外君にしてもけっして「聴き上手」とは思えない。
こんなことがあったせいでしようか、邑井君や前野君それに山本君といった後輩たちはよくわたしの家に遊びに来ましたが、鴎外君はわたしのところにはあまりやってはきませんでした。
でも、きっとそれはよかったのかもしれません。
テラニシなんぞに影響されないまま、たぶん彼はまじめで一本気なまま努力を続けてきたのだと思います。
自らの権利への不当な侵害に対して怒る者は自分の義務に対しても厳しくしてきたはずです。
ちょっと眉つばに聞えた、彼の「聴き上手」というのも、きっと、相手の言うことに合わせる、というのではなく、譲れない一線を一本ちゃんと持ったうえでの「聴き上手」なのだと思います。
今や彼は、あの事故を起こした福島の原発に命がけで放水していたあの東京消防庁の親分です。
あのような集団の親分があの鴎外君だと思うとなんだか愉快になります。
エライもんだなあ、と思います。
ところで、その夜、囲碁を打ちながら司氏に鴎外君のことを話したら、
「水泳部と消防庁、その人は水に縁があったということやねえ」
と言うとりました。
ほんなもんですか!