昔を今に
「生活が楽になるとは、こんなに退屈なことなのか」
― 『砂のように眠る』 関川夏央 ―
私の金沢の家のある所は、今は寺町となっているが、私が子供だった頃は寺町というのは電車が通る表通りを指すだけで、私たちの家のある所は桜畠と呼ばれる町だった。
当時の寺町通り界隈には、小学生だった私の行動範囲だけでも、お菓子屋が5軒、八百屋が3軒、酒屋が3軒(うち、造り酒屋が1軒)、魚屋が2軒、パン屋が2軒、米屋(兼燃料店)が2軒、文房具屋が2軒、おもちゃ屋が1軒、花屋が2軒、床屋が4軒、銭湯が2軒、うどん屋が3軒、本屋が2軒、そのほか自転車屋、電気屋、タクシー屋、漬物屋、荒物屋、製麺所、映画館、牛馬具屋(!)・・・と、思い出すだけでもたくさんの個人商店が並んでいた。
そのほかにも、一杯飲み屋とか、焼き鳥屋とか、洋服屋とか、当時は「パーマ屋さん」と呼ばれていた美容院もあったはずだが、それは男の子どもだった私には記憶にしかとは残っていない。
表通りだけではなく、わたしの住む桜畠は住宅地だったにもかかわらず、町内には養鶏をやっている家があり、かぶらずしをつくる作業所があり、鉄工所もあった。
けれども、それらのほとんどは今はない。
そして、住んでいる者たちの生活は豊かになったはずなのに、町そのものが妙にくすんでしまったようにみえる。
これらのことは何も寺町だけに限ったことではない。
金沢の旧市街地のどこででも起きていることだし、日本のかつての町のほとんどはそうなっている。
いつからか日本では個人商店や個人工場はやっていけなくなったのだ。
つまり規模の小さなところは利を稼げない世界になってきたのだ。
町にある店はチェーン店、系列店になっていく。
かつての一国一城の主は雇われ店長になり、サラリーをもらう。
なぜ、そういうことになったのか?
諸行無常、と言えばそれまでだが、或る店に代わって新しい店ができるわけではない。
ただ、ゆるやかに町が老い、衰亡していくだけだ。
TPPがいいのか、わるいのか、私にはわからない。
わからないが、行きつくところまで行くつもりなら、たぶん日本はそれに参加するのだろう。
参加してどうなるか、わたしは知らない。
ただ、今の寺町通りとかつての寺町通りを思ってみるだけだ。
大店法によっていよいよさびれた各地のシャッター通りを思うだけだ。
日本では〈商人〉という言葉はもはや実体を伴わなくなりつつある。
それはやがて死語になるだろう。
〈商人〉だけではない。
〈農家〉や〈漁師〉という言葉もやがて消えていくのだろう。
残るのは企業家と従業員だけだ。
TPPはそういう世界の完成に拍車をかけるのだろうなあ。