アホウたち
彼はこの世には彼と彼の同類しかいないかのように行動することとなろう。
― オルテガ・イ・ガセット 「大衆の反逆」 ―
今場所の大相撲はおもしろかった。
琴奨菊も頑張ったし、稀勢の里も気合が入っていた。
それでも白鵬が優勝したのもまたよかった。
先場所の優勝で何か自分について勘違いしていた日馬富士が全然勝てなかったのもよかった。
と、それにしても・・・・と思うのだ。
いったい何なんだろう、あの手に手に四股名を書いた紙を見せびらかしたり、手拍子で声を合わせて応援するというのは!
これが相撲か!!
私はとてもキモチがワルイ。
今日も結びの一番が始まったとき、その前に琴奨菊が負けたというので、優勝決定戦を望むらしいバカな観客たちが手拍子で「日馬富士コール」をやり始めた。
ぞっとした。
だから、白鵬が勝ってよかったと思ったのだ。
相撲の応援というのはてんでに好きな力士の名前を叫ぶことになっていた。
それはあらかじめ用意されていたものではなく、土俵に上がって来た力士を目にして自然に出てくるものだった。
そんな声が交錯するところにいかにも大相撲といった雰囲気が盛り上がって来るのだ。
そういうものだったはずだ。
せめて、長年相撲を見ているはずのNHKのアナウンサーは、あのような馬鹿げた応援を助長するかのような発言ではなく
「これは相撲には似合わないですねえ。やめた方がいいですねえ」
ぐらい言ったらどうなのか。
相撲を国技というならその会場にいる観客もまたその一端を担う責任を負わされているはずだ。
あんな応援をするのは、たとえば劇場やコンサート会場でケータイの着信音を鳴らすのと同じくらい非常識な行為だとなぜ誰も言わないのだろう。
私の記憶が正しければ、大相撲で一部の席の者がこのように手拍子を打ち声を合わせて贔屓の醜名を叫ぶ、などという悪習が始まったのは、今ではずいぶん昔になる名古屋場所で大関に上がる前の出島を応援しにやって来た彼の出身地金沢のバカ者どもからだった。
「デ・ジ・マッ。それ、デ・ジ・マッ」
という声を聞くたびに私はテレビを見ながら同郷人として恥ずかしくて顔が赤くなったものだったが、いまやそれが普通になりつつある。
魁皇はむろん好きだったが、やたらに巻き起こる「魁皇コール」には、ほとほとうんざりしていた。
なぜ、会場中が声をそろえて拍子をとって叫ぶのか。
おー、イヤだ、イヤだ。
日本は本当にイヤな国だと思ってしまう。
四股名を書いた紙を手に持つのはどうやら選手の名前をうれしげにかざす野球の応援から始まったらしいが、何なんだろう、全く!!
あれはいったい誰に見せるために書いているのだろう。
テレビに映りたいがためであろうか。
野球場のもバカだが、国技館のも大バカだ。