秋
もう秋か。――
― ランボー 「別れ」 (小林秀雄訳) ―
台風が過ぎた後、どこかに隠れていた秋が不意にやって来た。
一昨日まで開け放たれていた窓も一つを残して閉じられ、私は昨日までのTシャツのうえに長袖のシャツを着ている。
秋。
今夜はコーヒーではなく、紅茶を入れる。
銀色のスプーンが、砂糖を入れた琥珀色の透明をゆっくりとまわす。
窓の外には昨日よりは細くなった虫の声。
たしかに今年も秋が来たのだ。
だが、
もう秋か。――
とは、今年は誰も言わない。
夏が長すぎたせいばかりではない。
「おいおい、もう一年の半分が終わったよ。早いなあ」
毎年、六月の終りになると誰彼となく口にしていたそんな言葉も今年は聞かなかった。
もう誰も時の流れをはやいとは思わななくなったのだ。
あの震災以来、皆どこか、息をひそめるように日々を暮らしてきたからだろう。
「過ぎ去ったこと」とするには生々しすぎる何かをぼくたちは皆背負わされて生きているのだ。
そして時は鈍重に足取り重くぼくたちの上を過ぎていく。
もう秋か。――
けれども、本当はぼくたちは今こそ、そうつぶやくべきときなのだ。
たぶん、ぼくたちの「夏」はまちがいなく終わったのだ。
時の過ぎるのも忘れて、呆けたように日々を過ごしながら、思い出したように
「おや、もう秋だよ」
などと言っていた、そんなしあわせな時代はたぶん終わったのだ。