穴ゼミ
木のないところにセミはいない。
― アリストテレース 『動物誌』 (島崎三郎 訳) ―
台風去って秋です。
風がさらりと肌に心地よい。
ツクツクボウシが鳴きはじめました。
秋です。
ミンミンゼミやアブラゼミもまだ鳴いてはいるが、どうも八月の夏の盛りとは声の張りがちがう。
言うてみれば、なにやらテレビの「懐かしのメロディー」に出てくる年取った歌手みたいな感じです。
セミというので今日の引用ですが、それにしても、哲学者というのは断言しますなあ。
そんなエラソーに言わなくても、と思うようなことでも、しっかり言い切ります。
まあ、セミについて、こんなふうに言われたら、それはだれだって反論のしようがない。
火のないところに煙は立たない。
木のないところにセミはいない。
二つ並べて対句としたいくらいです。
ところで、この本にはこんな話も載っていました。
蛆は地中で生長して「セミの母」(蛹)になるが、外被が破れてはがれる前のこの時期のものが一番うまい。
やっぱり食べてたんですな、ギリシア人たちは!
天下のアリストテレースが言ってるんだからまちがいない。
(「アリストテレース」って「トーニオ・クレーガー」みたいですな)
「一番うまい。」
なんて自信満々に断言しているところをみると、彼も食べてたんです。
でも、どうやらヤギコのように成虫を食べるのではなく、穴から出てきたばかりの奴を食べてたらしい。
蜂の子、みたいなもんでしょうか。
だとすれば、先日(8月17日)引用した
細い、しなやかな 葦で追い立てて。
という。『食卓の賢人たち』に載っていた詩句も、私が想像したような皿の上のセミを追い回すことではなく、私らが子供の頃夏休みのラジオ体操に出かけたとき、木の下にできたセミの穴に藁なんかを差し込んで、それにすがりついてくる「穴ゼミ」を捕まえてよろこんでいたのと同じことを指しているのかもしれません。
当時は食べようなんてことは全く思いもよらなかったんですが、たしかに殻を割って出てきたばかりのセミ(私らは「白ゼミ」と呼んでました)はやわらかくて、ひょっとしてなかなかうまいのかもしれないと今は思ったりしております。
でもなあ・・・。