凱風舎
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ファシズム

 

 

 

  私はただ微かに煙を挙げる私のパイプによってのみ生きる。

 

 

   ― 富永太郎 「秋の悲歎」 ―

 

 

 

 さわやかな笑顔でした。
 悪意のかけらもない。

 「だって、健康のためなんですもの。
 喫煙者の多くはホントはたばこをやめたいと思っているんですよ。
 それを後押ししてあげるだけなんです。」

 たばこ値上げに言及してこう記者会見で語った小宮山厚労相の顔は善意にあふれている。

 でもね、もう一度書きます。

    健康で正しいほど
    人間を無情にするものはない。
 ( 金子光晴 「反対」)

んですよ。
 そのことを、みなさん、本当にはわかってらっしゃらない。
 いつものテラニシのたわごとだと思ってらっしゃる。
 なにしろ、みなさん「健康で正しいほど」いいものはないと思ってるんですもの。

 たとえば、仮にジョギングが健康にいいものとします。
 で、それをやりたがらない人がいるとして、じゃあ、その人の〈健康のために〉45歳以下の人で週に三日最低2キロのジョギングをしない人には所得税率を1%上げるようにしましょう、などという提案がニッコリ笑顔でなされたとしたら、あなた、どう思います?
 それって、変な社会でしょ。

 寒い冬の日、若い女性が太ももを寒風にさらすのは、どう考えても健康によろしくない。
 けれども、女子高生には〈健康〉よりも大事なものがあるから、みんなあんなにスカートを短くしているんです。
 健康なんて実は人にとって何ほどの価値もないものなのです。
 もちろん、自分が病気になれば誰だって健康であることの大切さは思うだろうが、人というものはそもそも、何であろうとそれを失くしてみないとそのもののありがたさなんてわからんようにできているんです。
 思えば人間とはどうしようもないものです。
 けれどもそういう人間のどうしようもなさを許容しない社会は生きづらいものなのです。

 「パーマネントはやめましょう!」
 「ぜいたくは敵だ!」
そんなスローガンが街に立てられ、割烹着を着たおばさんたちが街角に立ってそんなおなごがいないか監視していた時代があった。
 なんとまあ変な時代だとみなさんお思いになる。
 でも、見てごらんなさい。
 今や日本のどこにだって
 「路上喫煙禁止・罰金2000円」
などいう文字が路上に書かれている。
 これはおかしくないのですか?
 たばこの吸い殻を捨てる者は罰せられるのに、空き缶や紙くずを捨てる者は罰せられない。
 己が正義であることの確認を誰かをスケープ・ゴートにして得る者は少し危ないのです。

 自分と異質な他者に対して非寛容な社会はとても生きづらい社会です。
 そんな社会の典型はナチス時代のドイツでしょうか。
 知っている方は知っているのですが、知らない人もいるかもしれないので書きますが、世界で初めて嫌煙権を主張したのはナチスでした。
 なぜそうだったのかを考えてみる必要があると私は思うのですが。
 ファシズムって、実はそういうことなのですよ。