凱風舎
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  おばさんを愛したおじさんがいったことがある
  (一生を棒に振ってもいいと思ったら
  一生って棒みたいなものだなってきがついた)

 

    ― 辻征夫 「おばさん思い」 ―

 

 さっきまでNHKで「二人の旅路」というドキュメンタリーを観ていた。
 中国人の母と日本人の父親の間に生まれた妻とともに、日本へ移住した京劇の『国家一級俳優」だった夫の話だった。
 どんな話かも知らなかったし、そんなもの、全く見る気もなかったのだが、ニュースを見終えた後のテレビから聞こえてくる女の人の語る中国語の響きが妙に胸に沁みたので消さずにそのまま見続けたのだ。
 映像は汽車の窓から中国の河北平原を見ている二人の後姿だった。

 妻は65歳になっても美しい顔をしていた。
 若いころはさぞかしと思わせる顔だった。
 そして、日本人になって「国家一級俳優」からただのおじさんになってしまった今年で70になるという夫の方は、これは、なんとやさしい顔だったろう!
 私はたぶん、その夫の顔に魅かれてずっと見続けたのだと思う。
 人は、あんなにもやさしい顔のままで生きることもできるのだ、と思った。
 彼ら二人が歴史に翻弄され苦難の道を歩いて来たことが番組では語られたが、あんなやさしい顔をした人の奥さんはしあわせだなあと思った。
 そんな顔だった。
 そして見終わって、今日の引用の詩を思い出した。

 人を好きになって、その人と結婚して、その人のために生きよう、と思うことは、きっと
  一生を棒にふってもいい
と思うことなんだろうな、と思った。
 そして、ほんとうに
  自分の人生なんて棒みたいものだ
って、そいつをちゃんとその人のためだけに振り続けられる人があんなやさしい顔になるのかしら、って思った。

 もっとも、こんなことを書くと、
 「あんた、結婚したことないから、そんなこと言うがやわいや。
  相変わらず、あまいなあ。
  それに、あんたは一度も自分の人生を棒に振ろうと思わんかった人やないか!」
と、言われそうなんですがね。

 そういえば、この詩にはこんな言葉も書いてある。

  ピッチャー・ゴロでも
 折れてしまう棒がある